昭和期、日中戦争の局面において首相を務めた
近衛文麿。
その家格は鎌倉時代の藤原氏嫡流の五摂家で、公家の最高位に位置するもの。
豊臣政権時代の後陽成天皇は四男の信尋のぶひろを近衛家の養子にしており、それゆえ皇族の血を継ぐ一族でもあります。
近衛の戦中の指揮については、正直振るわない部分も多かったのですが…。
由緒ある血筋は、現在までどのように続いているのか。
今回はその子孫や家系図について詳しく辿ります。
タップでお好きな項目へ:目次
近衛文麿の子孫・家系図
近衛文麿には、妻千代子とのあいだに2男2女、4人の子息がいました。
以下の家系図を用いて、それぞれ解説していきます。
近衛文隆
長男の文隆は高校時代にアメリカ留学をし、プリンストン大学を卒業した経歴の持ち主。
文麿は首相になる前に一度、ルーズベルト大統領との会見を行っており、その際は文隆の高校の卒業式に出るという名目で渡米したといいます。
文隆は帰国後、文麿の秘書官も務めましたが、日中戦争で国民党総裁・蒋介石との直接交渉をしきりに唱えたことが問題となり、最終的に陸軍軍人として満州へ送られました。
その後、満州で太平洋戦争の終戦を迎え、捕虜として捕らえられ、シベリアに。
そのまま日本へ帰ることなく、現地で没することとなります。
満州時代には、貞明皇后の姪にあたる大谷正子と結婚しているものの、子どもはいなかったようですね。
ただ、このほかに愛人とのあいだに子どもを儲けており、庶子には俳優の東隆明さんがいます。
近衛通隆
次男の通隆は、東京大学史料編纂所の教授を務めた歴史学者。
1935年に、文麿の異母弟・秀麿の養子となっています。
ちなみにいうと秀麿もかなりすごい経歴の持ち主。
兄が日本で首相をしている最中、ヨーロッパ各国でさまざまなオーケストラの指揮者を担当しました。
日本での功績をいえば、NHK交響楽団の生みの親だったりもします。
文麿はGHQ総司令部からの出頭命令が下り、自殺にいたる直前
「お前に比べて自分は何も残せなかったなあ」
と、秀麿に語ったのだとか。
このころ、通隆も文麿の側におり、出頭命令に応えるよう文麿を促したという話です。
養父の秀麿が兄を慕っていたこともあり、通隆と文麿にも密接な関係が続いていたのですね。
長女と次女は?
長女の昭子は、公爵の島津忠秀と結婚するも、整体師の野口晴哉と駆け落ち。
近衛家でも特にスキャンダラスな恋愛をした人でした。
ちなみに島津忠秀は旧薩摩藩主の家系、幕末の名君・島津斉彬の子孫にあたります。
野口も整体界の権威ではあったのですが、昭子が名家同士の姻戚関係を捨てて結ばれようとしたことには、情熱的なものを感じさせられますね。
次女の温子は、第二次近衛内閣で首相秘書官を務めた細川護貞と結婚。
長男に第79代内閣総理大臣となる細川護熙さん、次男に近衛家の当主となる忠輝さんを儲けており、家系の繁栄としては一番の功労者といえます。
著名人となった孫たち
近衛文麿の子孫のうち、著名人となったのが次女・温子の子息ふたり。
以下からは、そんなふたりの活躍に迫ってみましょう。
近衛忠輝
近衛忠輝さんは温子の次男として生まれますが、文麿のあとの当主・文隆が死没したことをきっかけに近衛家を相続。
妻には皇族の三笠宮甯子内親王を迎え、由緒正しい家柄をしっかりと継承しています。
なんといってもすごいのはその経歴です。
学習院大学を卒業したのち、ロンドン大学へ留学。
帰国後は日本赤十字社へ入社します。
なんでも帰国途中、中東やアフリカなど、各国の情勢を目の当たりにしたことが、赤十字社の支援事業へ興味が向くきっかけだったとのこと。
以降は赤十字社が行う各国での戦後・災害支援に尽力していきます。
事業に幅広く貢献したことから、2005年には日本赤十字社社長に就任。
続く2009年に国際赤十字・赤新月社連盟の会長となりました。
世界180ヵ国以上の赤十字社・赤新月社を束ねる団体のトップですから、その影響力は計り知れないですよね。
ちなみに次期当主となる長男・近衛忠大さんは、NHKの映像ディレクターをされているという話です。
細川護熙
温子の長男・細川護熙さんは1993年~94年にかけて、約10か月間、内閣総理大臣を務めた人物。
首相就任により、38年続いた自民党政権が交代することになるという、歴史的な当選劇を演じました。
当時はリクルート事件をはじめ、企業から政治家への賄賂が横行していた時代で、その現状を打開すべく改革を起こした首相として知られています。
具体的には…
・小選挙区制…ひとつの選挙区の当選者を1名とする制度
など、現在の政治体制に大きな影響を及ぼす法律が細川内閣で成立しました。
忠輝さんといい、さすがは近衛家の末裔という活躍ぶりですよね。
政界引退後は、東北芸術工科大学、京都造形芸術大学の学園長に就任。
陶芸家として個展も開くなど、芸術の世界で精力的に活動しています。
きょうのまとめ
戦中の難しい局面で首相を担ったこと、由緒ある家格が相まって、今なお注目され続ける近衛文麿。
子孫たちもまた、そのネームバリューに負けない活躍を見せていました。
最後に今回のまとめです。
① 近衛文麿には4人の子息がいた。長男が死没したことで当主がいなくなり、次女温子の次男・忠輝さんが家督を相続する。
② 現在の当主・近衛忠輝さんは国際赤十字・赤新月社連盟会長。戦後復興や災害支援など、さまざまな事業に携わった経歴がある。
③ 孫の細川護熙さんは第79代内閣総理大臣。「政党助成法」「小選挙区制」など、現在に続く政治体制を確立させた。
目次に戻る ▶▶
その他の人物はこちら
明治時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【明治時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
コメントを残す