古代エジプトのファラオ(国王)で、誰もが知っている人物といえば、
クフ王とツタンカーメンの名前はまず挙がってくるでしょう。
彼らが古代エジプトにとって特別な存在であったことは、それぞれの死にまつわるエピソードにも表れています。
クフ王、そしてツタンカーメンの死因から、二人の人物像に迫っていきましょう。
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世界一大きなピラミッドを自分の墓にしたクフ王
クフ王の墓
高さ146メートルにも渡り、世界最大のピラミッドとして名高いギーザのピラミッド。
その内壁に描かれたヒエログリフ(エジプトの古代文字)からも、これがクフ王の墓だということがはっきりしています。
クフ王は自身を「クヌム・クフ」と名乗っていたことがあり、これは創造と成長を司る大地の神クヌムから取って名付けられたものでした。
古代エジプトでは、王が信仰されていた神様から名前をもらうことが多いのですが、世界最大の墓を持つクフ王のそれは、まさに権力に相応しい名前だといえます。
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変わりつつあるクフ王の評価
古代ギリシャの歴史家たちは、こぞってクフ王を残酷な王と見立て、国民から嫌われていたために、実はピラミッドには埋葬されていないとする説まであります。
これはピラミッドの建築に相当な労力が費やされたことなどが、彼に対する独裁者のような見解を強めたからです。
しかしこの概念は今となってはくつがえされています。
実際には、ピラミッドの建設に当たった国民たちは不自由のない待遇を受けていて、それはナイル川の氾濫で職を失った彼らへの救済にもなっていたとする説が、現在では有力なのです。
これが本当なら、クフ王が国民を奴隷のように扱う残酷な王だったとは考えにくいですね。
クフ王に関しては参考にできる史料がほとんど残っていないため、このように歴史家の中でも意見が様々に分かれています。
死因にしても人物像にしても、明らかにはなっていないのですが、古代エジプトの歴史に多大な影響を残した人物だということは確かです。
虚弱な体質で戦線に立った勇敢な王ツタンカーメン
虚弱体質だったツタンカーメン
ツタンカーメンは年端もいかない少年時代から国王として即位していました。
しかも彼は生まれついて、様々な病気を患っており、虚弱な体質の王として知られています。
一つは足の骨の一部に炎症を起こすケーラー病。
このためツタンカーメンは幼いころから、足が不自由でした。
そしてもう一つ、バランス感覚を失ってしまう大脳の病気、てんかん。
これらの症状により、ツタンカーメンは転倒して骨折し、身動きを取れない上にさらにマラリアに感染。
その結果死に至ったといわれています。
古代エジプトでは親族同士で子供を作る、近親交配が盛んに行われていました。
ツタンカーメンが生まれながらにして、健康に恵まれなかったのは、この近親交配が関係していると見られています。
歴史を動かす偉業の数々
古代エジプトでは、ツタンカーメンのように幼くして国王となる人物も珍しくありませんでした。
しかしその中でも、彼が名を馳せているのは、まだ少年だったにも関わらず、数々の偉業を残しているからです。
まず彼の父であるアクエンアテンが王だったころ、古代エジプトの首都はアマルナという都市に置かれていました。
しかしツタンカーメンが王位を継ぐと、首都をメンフィス、テーベへと移します。
首都がそれまでと変わってしまうということは、そうそう頻繁に起こることではありません。
そして父の代ではアテン神が信仰されていたのに対し、自分が王になってからは古くから信仰されてきたアムン神の信仰を復活させるなど、宗教的な面でも国に影響を与えました。
ちなみにツタンカーメンの正式名称は「トウト・アンク・アムン」。
これは「アムンの生ける似姿」という意味で、自身が信仰を推し進めたアムン神から取ったものでした。
ツタンカーメンが王として、国を動かしていこうとしていたことが如実に伝わってくるエピソードですね。
戦場においても国を引っ張った
ツタンカーメンは、虚弱な体質ながらも自ら戦線に立って、国を導く勇敢な王でもありました。
彼の偉業の中に、エジプト南部のヌビア地区の反乱を治めたこと、古代エジプトで勢力を誇っていたヒッタイト帝国と戦って勝利したことなどが挙げられます。
一説によると、遺体の骨折の跡から見て彼は、転落による激しい衝撃によって骨折したという話もあります。
ツタンカーメンは、戦場に赴いているときに、二輪戦車から転落して骨折したとされているのです。
国王が自ら戦場に立つことだけでも、勇敢だと捉えられる話ですが、彼に関してはその上に特別に身体の弱い王だったという話がついてきます。
その勇敢さを讃えるかのように、ツタンカーメンの墓には、彼が生前に使っていた130本の杖が一緒に埋葬されているのです。
若くして勇敢に国を導いた彼は、やはり国民からも絶大な支持を得ていたのでしょう。
きょうのまとめ
古代エジプトの歴史に多大な影響を残したクフ王とツタンカーメン。
その死に様は、二人がどちらも古代エジプトの王として欠かせない存在だったことを物語るものでした。
今回の話題を簡単にまとめると…
① クフ王は世界最大の墓が作られるほどの影響力を持った王だった
② ツタンカーメンは虚弱体質ながらも、率先して国を導こうとした優れた王だった
③ 古代エジプトの歴史に名を残す二人は、どちらも国民から慕われていた
といったところでしょうか。
やはり歴史に名を残す王の人物像に迫ると、感心させられる逸話が残されているものですね。
古代エジプトに関しては、はっきりしていない部分も多いですが、だからこそロマンをかき立てられます。
クフ王の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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