春日局とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

春日局かすがのつぼねは三代将軍・徳川家光の乳母であり、

大奥の女傑というイメージが強いかと思います。

現在で言えば、バリバリ働くキャリアウーマンですね。

そんな江戸のキャリアウーマン、春日局とはどんな人物だったのでしょうか。

 

春日局はどんな人?

プロフィール
春日局

春日局
出典:Wikipedia

  • 出身地:美濃国(現在の岐阜県)
  • 生年月日:1579年
  • 死亡年月日:1643年10月26日(享年64歳)
  • 家光の乳母となり、徳川幕府の安定に貢献した

 

春日局 年表

年表

西暦(年齢)

1579年(1歳)斎藤利三の娘として美濃国に生まれる。(本名、斎藤福)

1582年(4歳)本能寺の変。明智光秀に従い織田信長を討った父・利三は捕らえられ斬首される。

1598年(20歳)養父である稲葉重通が亡くなる。

1600年(22歳)関が原の戦いで、夫・稲葉正成が小早川秀秋の寝返りに大きく貢献した。

1604年(26歳)竹千代(家光)の乳母に任命される。

1623年(45歳)徳川家光が正式に三代将軍に就任する。

1626年(48歳)お江の方が亡くなる。この頃から家光の側室探しに力を入れ始める。

1629年(51歳)御所へ昇殿し、「春日局」の名号を賜る。

1634年(56歳)長男・稲葉正勝が死没。孫である稲葉正則を養育する。

1635年(57歳)家光の命により、ひ孫・堀田正俊を養子にする。

1643年(64歳)江戸にて死去。

 

裏切り者の娘から大奥の頂点へ、波乱万丈の人生

春日局は明智光秀の家老、斎藤利三さいとうとしみつの娘として生まれます。

利三の居城であった黒井城は、光秀の福知山城にとって大切な要所でした。

春日局は、この黒井城で生まれたと言われています。

城主の姫君として何不自由なく暮らすはずでしたが、

戦国最大のミステリーとも言われる「本能寺の変」が起こってしまいます。

斎藤利三は明智光秀と共に捕らえられ斬首されます。

当時4歳だった春日局はこの光景を見たと伝えられています。

それからは裏切り者の娘として食べる物にも困る生活を送りました。

幼少期の春日局は辛い毎日を送っていたのです。

裏切り者の娘と蔑まれた少女が、将軍の乳母になり権力を得るなんて誰が想像したでしょうか。

春日局はまさに波乱万丈の人生を送った人なのです。

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春日局にまつわるエピソードや伝説

春日局にはさまざまなエピソードがありますが、

その中からいくつかをご紹介します。

春日局が考案した七色飯

幼い頃の家光は虚弱体質でした。

その理由は、好き嫌いの多さからくる偏食でした。

きちんと食事を取るようにと言っても、家光は聞き入れません。

そこで春日局が考案したのが七色飯なないろめしです。

七色と言っても、色が七色というわけではありません。

七種類の味のご飯で七色飯です。

七種類も味があればどれか一つは食べる気になるだろう、と考えたのです。

・白飯

・赤飯

・粟飯

・麦飯

・菜飯

・茶飯

・干し飯

・引き割り飯

・湯取り飯

などです。

湯取り飯は蒸らす前のご飯を釜から出し、粘り気を洗い流してから再度蒸すという

とても手間のかかったものです。

好きなものを選べることが気に入った家光は、好き嫌いも少しずつ減りきちんと食事を摂るようになったと言われています。

春日局の溺愛ぶりが伺えるエピソードですね。

家光のために薬断ち

家光が重い病を患った時に、春日局は

春日局
自分は一生薬を飲まない

という願掛けをして家光の回復を祈願した、というエピソードは有名です。

春日局は、この願掛けを一生守り続けました。

病に倒れ、周囲がどんなに薬を進めても絶対に口にしませんでした。

弱っていく春日局を心配し、家光が自ら訪れ薬を飲むように進言しますが、

それでも春日局は聞き入れません。

現在国宝に指定されている曜変天目茶碗ようへんてんもくちゃわん

家光が春日局に薬を飲ませるために用意させたものです。

命を削っても家光を思う春日局と、春日局に薬を飲ませるため、

とんでもない茶碗を用意する家光。

実の親子以上の絆を感じます。

春日局は悪い女?

春日局はなにかと悪者に描かれることが多いです。

お万の方を無理やり側室にしたり、家光に邪魔な人間を排除したり、

「怖い女」というイメージがどうしても強いですよね。

春日局は本当に悪い女なのでしょうか。

家老や老中に匹敵する権力を持っていたと言われていますが、

息子たちを無理やり出世させたりはしていません。

春日局にとっては、江戸幕府と家光を守ることが全てだったのかもしれません。

江戸幕府が安定して、平和な世が続けば戦がなくなります。

春日局は戦の被害者でもありますから、自分のような辛い思いをする人がいなくなる、

そんな世の中を作ることこそが目標だったのでは?

そう考えると「怖い女」も納得が出来ます。

幼少期の辛い体験から、誰よりも平和を願っていたのかもしれませんね。

 

きょうのまとめ

春日局についてまとめてみましたが、いかがでしたか。

春日局とは?

① 裏切り者の娘から大奥の頂点へ、波乱万丈の人生を送った

② 家光のために七色飯を考案

③ 家光のために薬断ちした

④ 春日局は悪い女?ではなく誰よりも平和を願っていた

その他の記事についても春日局にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

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