春日局は知っていますよね?
ドラマでも有名ですし、3代将軍徳川家光を育てた女傑として知名度も抜群です。
しかし、生まれや両親のことになると、
さっぱり分からないという人がほとんどではないでしょうか。
今回は、春日局の父親にスポットを当ててみようと思います。
春日局の父親は誰で、どんな人物なのでしょうか。
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春日局の父親とは?
春日局の父親について調べてみました。
明智光秀の重臣
春日局の父親は斎藤利三という武将です。
室町幕府の官職のひとつである、奉公衆の出身でした。
京に上がると、
・斎藤義龍(斎藤道三の長男)
・稲葉一鉄
に順に仕えます
稲葉氏の家臣になった利三は、美濃国(現在の岐阜県)の曽根城の城主となります。
しかし稲葉一鉄も利三も非常に頑固だったため、二人は喧嘩別れしてしまい、明智光秀に仕えるようになったと言われています。
優秀な武将だった利三はすぐに光秀に重用されるようになり、筆頭家老にまで登り詰めます。
1万石を与えられ、兵庫県丹波市の黒井城の城主となります。
春日局はここで生まれ、城主の娘として不自由ない生活を送りました。
本能寺の変を起こした影の人物?
城主の娘として育った春日局ですが、ある事件が起こります。
日本史最大のミステリーとも言われる、本能寺の変です。
明智光秀が主君・織田信長を本能寺で討ったのです。
しかし「三日天下」と称されるほど、光秀の天下は続きませんでした。
中国から引き返してきた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との戦いで敗れ、光秀は追われる立場になってしまいます。
斎藤利三も山崎の戦いで敗走し捕縛、光秀も捕縛され、二人は六条河原で斬首されます。
利三の首は光秀とともに、本能寺に晒されたと言われています。
利三は享年49歳で、春日局は4歳でした。
最後が敬愛する主君・光秀と一緒だったことで、少しは心が休まったのでしょうか。
信長との関係
春日局の父、斎藤利三は織田信長とも深い関係にあったといいます。
春日局を生んだ母は利三の後妻ですが、先妻は斎藤道三の娘と言われています。
斎藤道三の娘ならば、織田信長の正妻である濃姫と姉妹と言うことになります。
つまり、織田信長とは義理の兄弟ということになります。
また利三の母親は光秀の妹とも姉とも言われています。
こうなると、信長と光秀そして利三の関係はなんだか複雑です。
きょうのまとめ
春日局の父親の斎藤利三についてご紹介しましたが、いかがでしたか?
あまり知られてはいませんが、歴史上の重要人物と深い係わりのある人物です。
稲葉一鉄の元を去って明智光秀に仕えた利三ですが、
一鉄は利三を返して欲しいと、主君・信長に懇願します。
信長は、光秀に利三を返すように命じますが、
光秀は
「有能な家臣を得ることは、信長様のためだ」と、
これを拒否します。
これに立腹した信長は光秀に折檻をしたと言います。
連れ戻したくなるほど有能な人物だったということでしょうね。
さらに言うと、斎藤利三の妹は長宗我部元親の正妻になっています。
知名度がないのが不思議なくらいですね。
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