もとは貧しいおどり子さんです。
なのに、楽器とおどりは今ひとつ……。
ただ人をひきつける美しさと愛嬌はばつぐんです。
そして、何よりも世間をよく知り、かしこいです。
「偉大なるローマ帝国」をとりもどしたユスティニアヌス帝のひそかな相談役は王妃テオドラ。
まるでアラビアンナイトのように男の能力を引き出させる彼女のマジカルな人生に酔いしれましょう。
サーカス小屋の少女
むかしむかしです。
西暦500年ごろ。
日本では古墳時代のまっただなかです。
東ローマ帝国の都コンスタンチノープル(今のトルコ・イスタンブール)に闘技場の熊の飼育員アカキオスという男がおりました。
アカキオスは曲芸師の奥さんと結婚しました。
そして、三人の娘を生みます。
そのうちの真ん中の娘がテオドラ。
彼女はこんなサーカス団に生まれたのにあまり楽器やおどりがうまくありません。
そのかわり彼女にはある得意技があったのです。
彼女は人々の心をくすぐるのです。
時にはわざと不幸な娘の役をおどけて演じてみせ、そのくるおしい声やしぐさに観客たちは夢中になります。
彼女は町から町へ踊り子として女優としてめぐってゆきます。
やがておとなになり、結婚もしました。
しかし、彼女はそれで満足できず、ついには一人で飛び出してゆきます。
やがて彼女の帰ってきたのは大いなる都コンスタンチノープルです。
ここで彼女は運命の出会いを果たすのです。
美男美女カップル
この時すでにテオドラには連れ子がありました。
そして、日々のかせぎはあいかわらずおどり子です。
色白で、背はちっちゃく、目のはっきりした美女でした。
彼女を見初めたのは後の皇帝ユスティニアヌス。
彼もまた色白で巻き毛の丸顔、大変な美男子だったといわれます。
美男美女カップルの誕生です。
ユスティニアヌスと結婚
けれども、彼らには大きな壁が待ち構えておりました。
当時の法律では元老院議員のユスティニアヌスはおどり子と結婚してはいけません。
こまりました。
しかし、ここでとても心強い味方があらわれます。
ていうか味方にしちゃいました(テ「もんくある?」)。
ユスティニアヌスの叔父さま、皇帝であるユスティヌス1世です。
叔父さまはこういう命令を発されました。
「元老院議員とおどりこは結婚してもよい!」
万々歳です。
二人は晴れて結婚しました。
ニカの乱
はてさて、ほどなくユスティヌス帝は亡くなりまして、ユスティニアヌスがついに東ローマ帝国皇帝となります。
テオドラは皇后です。
二人はとても仲良く、おたがいに手をたずさえあって帝国の運営を行っていたのですが。
ユ「テオ様、こまったことがおこりました」
テ「なんじゃ、もうせ」
ユ「闘技場で戦車競技をやっておりまして、ヒートアップしすぎた観客らが結果に不服を申し立て暴れたおしております……」
テ「うむ、さりげなくなかなかやばいな。で、事態は」
ユ「最悪です。これさいわいにと、権力者も上乗りし、私を追い落とそうとせまっております」
この時のテオドラの名演説をお聞きください。
そこまでして生き延びたところで、果たして死ぬよりかは良かったといえるものなのでしょうか。私は『帝衣は最高の死装束である』といういにしえの言葉が正しいと思います。」
出典:Wikipediaテオドラ
ユスティニアヌスはトンズラここうと息巻いておりましたが、テオドラの言葉にすっかり気持ちを取り直し、敢然と戦うことにします。
こうして、反逆者たちをたおし、ユスティニアヌスの皇位はみごと保たれました。
下積み経験を生かす
ユスティニアヌスの宮廷内外の外交・法令などに関してテオドラに相談しなかったことはなかったといわれます。
そして、テオドラ亡き後(48才)、ユスティニアヌスの帝国は急激におとろえてゆきます。
テオドラは生前、自分と同じおどり子などの恵まれない女性たちに多額の寄付をし、一方で、女性の財産保障や離婚の権利などを認めました。
まさに東ローマ帝国におけるウーマンリブ運動のカリスマ。
当時、キリスト教で異端とされがちだった「単性説(※)」にも同情的です。
「単性説」はおもに帝国内のシリアやエジプトで信じられておりました。
テオドラはおどり子時代、このあたりで活動しておりましたからね。
彼女はかなり苦労な下積み経験を現実の政治に生かしております。
(※)「キリストは“神”である」とするもの。それに対し、正統は「キリストは“人”であり“神”である」とする「両性説」です。
きょうのまとめ
ユ「テオ様なくしてわが帝国の栄光なし!!」
① テオドラはおどり子出身
② テオドラは「ニカの乱」で名演説をうち、夫ユスティニアヌスを奮起させた
③ テオドラは自分の苦労時代をナマの政治に生かした
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