6世紀。
日本でいうと古墳時代。
“氏姓制度”や“湯起請(あっつあつのお湯に腕を突っ込み、この人の言っていることにウソはないかを確かめるシステム)”なんかが当たり前だったころのことです。
当時、遠く東ローマ帝国でできあがった『ローマ法大全』は今の世界の法律にも少なからぬ影響を与えております。
作成の指示を出したのはユスティニアヌス帝。
どういったいきさつでその法典をつくることになったのか。
そして、その後の長い歴史にどういった影響を与えていったのか。
わかりやすくチェックです!
タップでお好きな項目へ:目次
十二表法完成
紀元前5世紀ごろの古代ローマでは貴族と平民があることでもめておりました。
平民「法律がむずかしすぎる。あんたら貴族ばかりうまい具合に得して不公平だ!」
貴族「なにをおっしゃる。わたしたちの偉大なる法律ではちゃんと“法のもとの平等”を保証してますぞ。ちっとも不公平じゃない。何ならあれですな。もっと法律を勉強することです。」
平民「勉強しろつったって、おれたちがどうすりゃいいんだ!」
そこである人が思いつきました。
「法律を文章にしちゃえばいいんじゃね。で、いつでも見れるようにすんの」
紀元前450年(日本では縄文から弥生への移り変わる時期)に銅板に刻みこまれた12の法律が制定されました。
これが十二表法です。
ユスティニアヌス、『ローマ法大全』作成を命じる
その後、時代が移り変わるごとにドンドン新しい法律が付け加えられ、いらなくなった法律は書き換えられていきます。
古代ローマの歴史はとっても長いので、どんどこややこしくなってゆきます。
そして、十二表法発布から800年ほど経った時、ある皇帝が、
「古代ローマの法律はややこしすぎる。いっぺんきっちりとまとめなおせ!」
われらがユスティニアヌス帝です。
ユスティニアヌス帝は有能な法務長官トリボニアヌスをリーダーとする10名のスペシャル・チームをつくりあげ、かれらにローマ法のまとめ作業をやらせることとしたのです。
『ローマ法大全』の中身
出来上がりはこんな感じです。陛下。
4部構成
これまでのローマ帝国の勅法(政府によるちゃんとした法律)のきっちりまとめ。
② 学説彙纂
これまでの有名な学者さんの意見のきっちりまとめ
③ 法学提要
法律初心者のための教科書
④ 新勅法
新しい勅法
「ローマ法」が世界で使われるように!
こうしてだいぶすっきりした東ローマ帝国の法律。
東ヨーロッパでは東ローマ帝国からオスマン・トルコ帝国によってその法律が「使える」ということでその伝統は守られてゆきます。
しかし、東ローマ帝国の影響のおよばない西ヨーロッパではほとんど知られず、すたれてゆきます。
ところが、1070年ころ(日本なら院政が始まる寸前)イタリアで“学説彙纂”が見つかり、一部の間で、
「これ、すごくね?」
と研究されるようになってゆきました。
そして、「これは使える」ということでヨーロッパの広くに「ローマ法」の考えが広まってゆきます。
そして、「ローマ法」を下敷きにして法律を整えてゆくようになってゆきました。
そして、19世紀初頭、こんな人が出てきます。
「ローマ法」のその後
「余の辞書に不可能という文字はない」
ナポレオンです。
ナポレオンは『ナポレオン法典』をつくりあげ、このできがあんまりいいので、世界中が「ローマ法」をうっちゃって、こっちを採用するようになってしまいました。
今は「ローマ法」を基礎として法整備しているところはほとんどありません。
ただし、「ローマ法」でできた考え方自体は今にものすごく影響を与えております。
たとえば『所有権』と『占有権』のちがいってわかりますか。
大学で法律を勉強すると、最初のうちに勉強させられます。
アパートを例に出すとわかりやすいです。
●アパートの大家さん(所有者)の権利が『所有権』。
●アパートの住人(占有者)の権利が『占有権』。
「ローマ法」はこういったちがいを新しくあみ出しました。
「契約」を“売買”“貸し借り”“雇う雇われる”などにわけてかんがえるよう進められたのも「ローマ法」からです。
きょうのまとめ
“法律”というものは私たち人類が文明を営み、人口が増えるにしたがって必要になってきたものです。
これから社会が複雑になってゆけばゆくほどその考え方は重要になってゆきます。
これから法律を志そうという方はぜひ、その“知の力”によって世の中を有意義に守り、そして移し変えてください。
① 古代ローマにおける貴族と平民の争いから「十二表法」が出来上がった
② ユスティニアヌス帝がそれまでの複雑すぎる法律を整備し、『ローマ法大全』が出来上がった
③ 「ローマ法」の影響はその後の世界に大きな影響を与え続けている
その他の世界の偉人ははこちらから
関連記事 >>>> 「世界の偉人一覧」
コメントを残す