あなたはモザイクっていう美術技法を知ってますか。
中学の美術の教科書にもさりげないながらきっちり出ております。
一目見ると、
「なんじゃこりゃ、おれの方がうまいじゃん」
て思うかもしれません。
でも、なめちゃいけません。
その絵、世界遺産ですから。
ちっちゃい子が描いたみたいなものすごく簡単でぎこちないデザイン。
でも、なんだか伝説の光景のような不思議な味わいがこみあげてきます。
東ローマ帝国のユスティニアヌス帝時代をいろどった代表的な美術技法をチェックして、明日からあなたも“絵心わかる男子ポイント”アップ!
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モザイクって何?
モザイクの材料は何でもよいです。
よく使われるのは陶器とかガラスとか貝殻とかの破片です。
いろんなものをパズルみたいに組み合わせちゃうんです。
すると、だんだんデザインみたいになってくるでしょう?
モザイクはいつから?
とってもシンプルな技法なので、その歴史はうんと古いです。
今、知られているだけで一番古いのは紀元前3000年前。
メソポタミア文明のウルクという町の神殿跡でモザイク技法を使った柱が見つかっております。
古代ローマではモザイク技法を使ってかざられた床などが盛んにつくられるようになりました。
なぜもっと写真みたいに造形しなくなったの?
さて、では東ローマ帝国が栄える前のギリシャ・ローマ時代の美術とはどんなものだったかわかりますか。
実は東ローマ時代とは雰囲気が全然ことなります。
代表作が「サモトラケのニケ」や「ミロのヴィーナス」。
どちらも、まるで本物の人間みたいに生々しく造形されております。
ところが、今回説明するユスティニアヌス帝時代のモザイクというのは何度も言うように一見して
「これ、おれの方がうまいんじゃね?」
感がはんぱありません。
もともと写真みたいに上手に造形できるテクがあったのに。
なんでわざわざこんな仕方に変えちゃったの?
いや、この造形のすごみは年とともにだんだんわかるようになってきます。
ともかく。
なぜ、造形がこんな風に変わったかというと一番のポイントはキリスト教です。
ユスティニアヌス帝の時代はとってもキリスト教に厳しくて、美術にもいろんなルールが決められてあったのです。
だって、キリスト教でキリストは神様でしょ。
でも、あの時代は神様をはっきり造形してしまうと罰当たりなんです。
だから、“わざと”写真っぽくなくしているんです。
その方が“神様っぽい”というわけです。
サン・ヴィターレ聖堂
ユスティニアヌス帝を描き出したモザイク画で一番有名なのがイタリア・ラヴェンナにある“サン・ヴィターレ聖堂”です。
世界遺産です。
そもそも、ここにはゲルマン人系の東ゴート王国というのがありました。
ところが、ユスティニアヌス帝は名将軍ベリサリウスに命じて攻めこませます。
これをゴート戦争(535~554年)と言います。
結果、ラヴェンナはユスティニアヌス帝に占領されてしまいます。
サン・ヴィターレ聖堂はまだ東ゴート王国のころから建て始めております。
しかし、東ローマ帝国になってもその工事は続けられ、ついに堂内にはすばらしいモザイク画がたくさんできあがります。
ユスティニアヌス帝や皇妃テオドラだけでなく、名将ベリサリウスだといわれるものまでが描き出されております。
ユスティニアヌス・ファンは必見です!
ちなみにこのラヴェンナはモザイク画名所の宝庫です。
ほかにもサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂、ガッラ・プラキディア廟堂など。
いずれも世界遺産となっております。
モザイクのその後
モザイクはその後も世界中で造形され続けてゆきます。
イスラム美術は「幾何学文様」が美しいのですが、そちらにはこの技法がふんだんにもりこまれております。
今だって、モダンアートなどにとりどり使用。
何度も言うように技法自体はとてもシンプルでありながら、デザインは無限に表現できますので、奥がとっても深いのですね。
きょうのまとめ
最後にもうひとつ、大事な美術史ポイント。
東ローマ帝国時代の美術を「ビザンチン美術」といいます。
“ビザンチン”というのは東ローマ帝国の首都があったあたり(今のトルコあたり)の当時の地名です。
モザイク画のほかにもキリスト教の登場人物などを描いた絵画イコンなどで有名。
画風はやっぱりモザイク画と同じで写真っぽくはなく、独特な味のある感じです。
① モザイク技法はとってもシンプルでありながら奥が深い
② ユスティニアヌス時代に美術が写実的でなくなったのはキリスト教の影響
③ イタリア・ラヴェンナはすばらしいモザイク画の宝庫
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