ジュール・マスネとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

19世紀後半~20世紀初頭にかけてのフランスパリで活躍した作曲家、

ジュール・マスネ

主に『マノン』『ウェルテル』『タイス』等のオペラ作品で有名になった彼は、ロマン派の作曲家として位置付けられています。

さらには歌曲作品でも、ガブリエル・フォーレやクロード・ドビュッシーらと並び、フランス近代音楽の形成につながる重要な存在となりました。

ジュール・マスネとは、一体どのような人物だったのでしょうか。

今回はその生涯について、主な功績やエピソードと共に見ていきましょう。

 

ジュール・マスネはどんな人?

プロフィール
ジュール・マスネ

ジュール・マスネ
Jules Massenet
出典:Wikipedia

  • 出身地:フランス リヨン近郊サンテティエンヌ、モントー
  • 生年月日:1842年5月12日
  • 死亡年月日:1912年8月13日(享年70歳)
  • フランスを代表するロマン派オペラの作曲家

 

ジュール・マスネ 年表

年表

西暦(年齢)

1842年(0歳)フランスリヨン近郊、サンテティエンヌのモントーで誕生。

1848年(6歳)父親が事業に失敗しパリに移住。

1851または53年(9または11歳)パリ音楽院に入学。声楽、ピアノ、和声、オルガン、作曲を学ぶ。生活費のためにカフェでピアノ演奏、劇場で打楽器奏者として働く。

1863年(21歳)カンタータ『ダヴィデ・リッツィオ』でローマ大賞を受賞。以降3年間イタリアに留学。ドイツ、ハンガリーにも赴く。

1865年(23歳)管弦楽曲ト長調の序曲、組曲『第1番』を作曲。

1866年(24歳)パリに帰国。教会音楽、管弦楽曲、オペラの作曲を開始。

1867年(25歳)オペラ『大おばさん』の初演。

1872年(30歳)オペラ『バザンのドン・セザール』の初演。

1873年(31歳)オラトリオ劇『マグダラのマリア』で成功を収める。

1875年(33歳)歌曲『エレジー』の出版。

1877年(35歳)オペラ『ラオールの王』の初演。

1878年(36歳)オペラ座の監督、パリ音楽院では作曲の教授に就任。

1881年(39歳)『エロディアード』がブリュッセルの劇場で大成功を収める。

1884年(42歳)代表作オペラ『マノン』の初演。

1885年(43歳)コルネーユ原作『ル・シッド』の初演。

1889年(47歳)レジオン・ドヌール勲章の2等を受賞。

1892年(50歳)ゲーテ原作『ウェルテル』の初演。大成功を収める。

1894年(52歳)代表作『タイス』の初演。

1896年(54歳)パリ音楽院での教授職を引退。

1897年(55歳)管弦楽曲『チェロとオーケストラのための幻想曲』を作曲。

1903年(61歳)『ピアノ協奏曲』を作曲。

1910年(68歳)『ドン・キホーテ』がモナコのモンテカルロにて初演。

1912年(70歳)パリで死去。

 

ジュール・マスネの生涯

ここからは早速、ジュール・マスネの功績をその生涯から辿っていきましょう。

音楽一筋

1842年、フランスのリヨン近郊に生まれたジュール・マスネ。

12人兄弟の末っ子として誕生した彼は、ピアニストでもあった母親に習い、幼い頃から音楽の才能を見せています。

6歳の頃、父親の事業失敗により家族でパリへ移住後、9歳、または11歳の時にパリ音楽院に入学。

マスネはそこで、

・声楽
・ピアノ
・和声
・オルガン
・作曲

等を学びます。

21歳の時には、作曲したカンタータ(単声または多声のための器楽伴奏付の声楽作品)『ダヴィデ・リッツィオ』が、若手芸術家たちの登竜門であり憧れの「ローマ大賞」を受賞。

彼はこれ以降の約3年間、報奨として与えられるイタリア留学へ赴きます。

マスネはこの地で伝統ある本場のオペラや教会音楽に触れ、後の自身の作品に反映していくことになります。

またこの頃には、同じくロマン派の音楽家であるベルリオーズやリストとも交流を結んでいました。

オペラ作品の成功

イタリア留学後にはドイツやハンガリーにも足を延ばし、自身の音楽的な素地を着実に作り上げていったジュール・マスネ。

パリに帰国後は主に、

・教会音楽
・管弦楽曲
・歌曲
・バレエ
・オペラ

等の作曲活動を本格的に開始しました。

歌曲に関してはその生涯に250曲以上という多作ぶりを見せていて、

・『瞑想曲』
・『エレジー』

等、現在まで広く愛されているものも多くあります。

しかし、やはり何と言ってもジュール・マスネの名を歴史に刻んだ功績として外せないのがオペラです。

彼は未完の作品も含めて全部で36曲のオペラを作曲していて、その物語や選ぶ題材は多岐にわたっています。

中でも特に大成功を収めたのが冒頭でご紹介した3作品、

・『マノン』
・『ヴェルテル』
・『タイス』

でした。

時に甘すぎるほど

ジュール・マスネの作品の特徴として押さえておきたいのが、その甘美で抒情的な旋律

彼は当時ヨーロッパ全土に大きな影響を与えていたドイツの楽劇王、ワーグナーの影響も受けていますが、どちらかと言うとむしろイタリアオペラの方に傾倒していたと言われています。

美しく甘い旋律と楽曲、さらに巧みな人物の心情描写は、ときに「甘すぎる」と批判の対象になるほど。

しかしそれこそが彼の作品の最大の特徴であり、多くの人々を魅了し、現在まで愛されているのも事実なのです。

こうしてジュール・マスネは、イタリアの作曲家のロッシーニやヴェルディを継承する重要なオペラ作曲家として位置付けられました。

またオペラに限らず、歌曲やピアノ曲などその他の作品にもその特徴は表れていて、それらもまた広く世界に親しまれています。

しかし後期のオペラ作品『ドン・キホーテ』等は、どれも先にご紹介した3作ほどの成功を収めることはできず、70歳の時にパリで死去しました。

 

ジュール・マスネにまつわるエピソード

ここでは、ジュール・マスネの人柄にもう少し迫るために、彼にまつわるエピソードをご紹介します。

アルバイト


父親の事業失敗により、家族でパリに移住した少年時代のジュール・マスネ。

無事にパリ音楽院入学後、彼は学業の傍らで生活費を稼ぐために、

・カフェでピアノ伴奏
・劇場で打楽器演奏

といった仕事をしていました。

しかしこの経験が、管弦楽曲の編成などを含めた未来の作曲家の基礎となったことは言うまでもありません。

教育者

順調に作曲家としての地位を高めていたジュール・マスネ。

実は彼は作曲家としてだけでなく、教育者としての顔も持っていました。

30代半ばからの約18年、マスネは母校のパリ音楽院で作曲科の教授を務めています。

教え子には、

・シャルパンティエ
・ブリュノー
・ケクラン 

etc…

後のフランスを代表する多くの作曲家たちがいました。

 

きょうのまとめ

今回は、19世紀~20世紀にかけてフランスで活躍したロマン派の作曲家ジュール・マスネについて、その生涯を主な功績やエピソードと共にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

何か新しい発見等はありましたか。

最後に、ジュール・マスネとはどのような人物だったのか簡単にまとめると

① 19世紀後半~20世紀前半に活躍したフランスの作曲家。

② ロマン派に属し、主にオペラ作品が有名。

③ 作品全体を通しての甘く美しい旋律が魅力で、今なお愛されている。

甘く抒情性豊かな旋律が特徴のジュール・マスネの作品たち。

その普遍的な魅力は現代に至ってもなお色褪せず、世界中で演奏、上演されています。

ご興味を持たれた方は、是非一度鑑賞されてみてはいかがでしょう。

作品に浸ってみることで、言葉だけでは説明しきれないその特徴と、ロマン派音楽の傾向を掴むことができるのではないでしょうか。

 
目次に戻る ▶▶
 

合わせて読みたい
ワーグナーの年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「ワーグナーとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

その他の世界の偉人ははこちらから

関連記事 >>>> 「世界の偉人一覧」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

twelve − two =