首相・犬養毅の名言|「五・一五事件」で見せた男気とは

 

第29代内閣総理大臣

犬養毅いぬかいつよし

薩長閥が上層部を牛耳っていた政局におき、国民主導の政治を実現するべく護憲運動に奔走。

首相となり、日本の未来を拓いていこうというそんな矢先、「五・一五事件」の凶弾に倒れてしまった悲劇の指導者です。

権力に溺れず、国民の意志を尊重する志をもっていた犬養の思想には、学ぶべきところがたくさんあります。

今回は彼の残した名言を通し、犬養がどんなことを考え動いてきたのかを垣間見ていきましょう。

 

犬養毅が記者に向けて放った名言

犬養毅いぬかいつよし

礼装である大礼服を着用した犬養
出典:

政党には、党勢拡張、政権獲得などという一種の病気がつきまとう。

そのために、あるいは種々の不正手段に出たり、あるいは敵に向かって進む勇気を失ったりすることがある。

これを監視し激励するのが言論に従事する人々の責任でなければならぬ。

1924年、第15回衆議院議員総選挙に向けて開かれた憲政擁護大会の際、犬養が取材に訪れた記者に対して放った言葉です。

清浦内閣打倒のため、犬養としてはなんとしても支持を取り付け議席を獲得したいこの場面。

記者たちに求めたことは、自身の支持でも公約を国民に広めることでもなく、

「よく監視していてくれ」

ということでした。

「どうしても負けられない。権利を手に入れたい」

そんな事情を抱えていれば、不正に目がくらんでしまうのが人間の心理です。

第三者である記者たちは、それを冷静に制止することができる。

疑わしい部分があれば、批判にさらすことができる。

当事者であるからこそ甘えてしまう部分を、犬養は記者たちの目に託したわけです。

たとえばなにか目標を達成したいとき、周囲の人に宣言してしまうのがいいとよくいいます。

見張られている環境に身を置くことが自身を律するなによりの方法なのですね。

 

犬養毅の思想を物語る名言

仏教もキリスト教も道教も異途同帰で、要するに根本の信念を固めることにある。

しかるに、現在の我方国民教育の不完全は、道徳の根本たる信念に導くべき教えが欠けている。

犬養毅は幼少より漢学を修め、中国の政治家とは特に良好な関係を築いていました。

対外思想にしても、アジア主義者と呼ばれ、アジア諸国の連携を重視していました。

犬養がこの名言で、

「国籍は違っても同じ人間である以上、根本的に大切なことは変わらない」

という旨を述べているのは、なにより自身が海外文化に対する理解を深めようと努力してきたゆえのことなのです。

宗教がうんぬんというより、もっと広い視野をもって価値観を作っていかないといけないと、犬養は言いたいのでしょう。

自分の知らない分野に積極的に触れることで、思想というのは確立されていくのでしょうね。

1年の計をたてるものは米を植えよ。

10年の計をたてるものは樹を植えよ。

100年の計をたてるものは人を育てよ。

未来を作っていくのは何より人であるとしたこの名言。

犬養が言及しているのは、政治を行うのは人だよ…ということなのですが、

政治に関係のないところでもその考え方は当てはめることができます。

ここでは米や樹に例えられているように、目先の利益を得る目的であれば、モノに着目するのも有効です。

たとえば資格を取ったり、スキルを身につけたりといったこともここでいうモノに当てはまります。

しかしそういった個人的なモノより、豊かな人間関係を築いていくことのほうが、人生においてはより有用です。

困ったときに助けになるのは、個人のスキルより周りの人の支えだったりするんですよね。

解釈は少しズレるかもしれませんが、いずれにしても事を動かしていくのはなにより人だということです。

 

人生を振り返っての名言

四十余年間、政治を専門にやってきたものの、その間、失敗もしたが成功もしたと言いたいが、実は失敗だらけである。

長きに渡り、薩長閥主導の政権と戦ってきた犬養は、国民から多数の支持を集めていました。

反面、運動がいくら盛り上がっても政党政治に持ち込めなかったり、いざ首相になったとしても政府内で反発があったり、

詳しく見てみるとほんとに、うまくいっていないことのほうが多いんですよね。

しかしこれは、いくら失敗しても理想の実現を諦めなかった犬養の信念の強さを表す言葉でもあります。

失敗の数だけ、貫いた信念は重みを増していく。

そう考えると、少しハードルの高いことへの挑戦にも前向きになれる気がしませんか?

 

「五・一五事件」に関する名言

話せば分かる。

犬養毅の言葉のなかで、もっとも有名な一言ですね。

青年将校たちの襲撃に遭い、銃口を向けられても毅然とした態度で犬養がこう言い放ったのは、理解を促せるだけの理由があったからです。

陸海軍が政府に不満を覚えていたのは、前任の濱口内閣が軍部の了承を得ず、諸外国と軍備に関する条約をむすんでしまったためでした。

犬養自身これには問題を感じており、軍部の言い分もわかるという立ち位置を取っています。

だからこそ、襲撃の際もまずは話を聞こうと応じたのです。

残念な結末にはなってしまいましたが、派閥に関わらず意見を尊重する犬養の人となりが現れた名言だといえます。

9発撃って3発しか当たらぬとは、軍はどういう訓練をしているのか。

犬養が青年将校たちに撃たれてしまったあと、流血しながら発した言葉です。

なんと犬養は銃の腕前について言及しただけで、撃ったことを非難する発言は一言もしていません

襲撃にやってきた連中と話をすると決めたとき、自分は政府の代表として撃たれても仕方がないと、覚悟を決めていたのかもしれません。

自身のやったことでなくとも、その立場に立った以上、責任は自分にある。

そんな心意気に、多数の国民が犬養を支持したことにも納得のいく、男気ある人となりを感じさせられますね。

 

きょうのまとめ

犬養毅の、なにより民意を尊重しようとする姿勢は、その名言の端々にもしっかり表れていました。

人の意見に耳を傾けることは、人間関係においてもっとも重要です。

そういった意味で犬養の名言には、人生を豊かにする教訓がたくさん詰まっているといえますね。

最後に今回のまとめです。

① 犬養毅が演説の際、記者たちに求めたのは、「自分たちをよく監視していてくれ」ということ。権利が絡むと人は目がくらんでしまうもので、犬養は第三者の目を重要視していた。

② 犬養が重んじた思想は「自分の知らない分野に積極的に触れること」「大事なのは目先の利益より、未来を担っていく人を育てること」だった。

③ 犬養は襲撃の現場にあっても、相手の意見を尊重しようとした。また、政府を代表する立場である以上、自身が犠牲になることも覚悟していた。

私たちも犬養のように誠意をもって人と向き合っていけるとよいですね。

 

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