今年は没後800年。わたしたち日本人にものすごく身近なヒーロー伊能忠敬のかっこよすぎる名言と子孫たち

 

この方、地図を書く前は実業家で

35億円を稼いだといわれております。

ただそれでも満足せず、

だれもが成しとげたことのないとんでもない新たな夢へと向かって挑み、

さらに成しとげた人。

今回は
そんな伊能忠敬の子孫と名言について語ってまいりましょう。

 

伊能忠敬名言集

「人間は夢を持ち、前へ歩き続ける限り、余生はいらない。
願望は寝ても覚めても忘れるな。
泥棒でも、敵をやっつけるのも、美女を手に入れるのも、そう願う心をどんなに状況が変化しようが、一時も忘れずに心がけていれば、かならず成し遂げられる。」

もう一つあわせて紹介させていただきましょう。

「歩け、歩け。
続ける事の大切さ。」

この方は元々養子婿入りした方で、

その婿入り先の伊能家は酒造、貸金などを営んでおりましたが、

業績はあまり芳しくありませんでした。

しかし、それを一代で立て直してあまりあり、

さらにそれをすっぱりやめた後の日本地図作成においても

あれだけの成果を残しました。

もはや、何をか言わんや。

ですね。

さらに2つ。

「天文暦学の勉強や国々を測量することで後世に名誉を残すつもりは一切ありません。
いずれも自然天命であります。」
「後世の役に立つような、しっかりとした仕事がしたい。」

圧巻です。

まさに
「長く」
「大きく」
「強い」

彼の地図は死後、幕府に収められ、

後に
あのシーボルトが国外に持ち出そうとして捕まる、
「シーボルト事件」
が起こります。

さらに明治に入ると、

彼の業績は学校でも子どもたちへの薫育に取り入れられるようになりました。

今も中学校の歴史の教科書には載っていますね。

もし、たんに実業でうまくいっただけで満足していたら後にどうなっていたでしょう。

むしろ、それにばかり固執しすぎて……、というのは歴史のお決まりです。

何度も連呼させてください。

歴史というものを見ると
「長く」
「大きく」
「強く」
世の中を見る助けになります。

わたしたちはともすれば目の前に安住しがち、

それだけで世界を語りがちとなってしまいます。

しかし、現実のデータとしてそれよりももっとスパンもスケールも大きなものからの”結果”というものが生々しくつきつけられます。

だから、「歴史はビッグデータ」なのです。

 

伊能忠敬の子孫

伊能忠敬には長男がいて、

名は景敬(かげたか)。

家督を相続しますが、

父に先んじて亡くなってしまいます。

景敬の子
忠誨(ただのり)がさらにその家督を継ぎ、

父や祖父が亡くなった後、

完成した日本地図を江戸城に献上しに上がりました。

ただ、
忠誨には子がなかったため彼の死により伊能家の直系は絶えてしまいます。

しかし現在なお、
彼らの暮らした千葉県佐原を中心にして、
その子孫と言われる方々はたくさんいらっしゃいます。

2018年は伊能忠敬が亡くなって200年目の節目の年

今年2018年は伊能忠敬が亡くなって200年の節目の年です。

それに合わせて、彼の功績を顕彰する様々な取り組みが行われております。

その中で

彼の日本地図測量に協力した全国の子孫の方々を探し求めよう、

という企画があります。

1万2千人分の名前をデータベース化して発表!

4月には東京都千代田区学士会館にて

そんな彼らの功績をたたえて表彰が行われました。

そうして集まった子孫の方々はなんと107人!

そうです。

忠敬の行った大事業は決して忠敬だけのものではありません。

忠敬とともに当たった人々の子孫が全国にこうしてたくさんいらっしゃるのです。

あるいは、わたしや、あなたも?

きょうのまとめ

日本全国に散らばり、残る”伝説”。

実は私たちにものすごく身近な「街角のヒーロー」伊能忠敬。

① 伊能忠敬の名言はいずれもスケールが大きく、核心をついて、貪欲である

② 伊能忠敬の直系子孫こそは絶えてしまったが、子孫自体は彼らの暮らした千葉県佐原を中心にたくさんいる

③ 今年2018年は伊能忠敬没後800年。全国で様々な催しが目白押し!

道を歩く時にも、山を眺める時にも、

ふと、伊能忠敬を思えば、風景が違って見えそうです。

そうです。

歩く人、そして歩く時、それぞれによってその風景も個性があるはずですから。

 

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