「教皇は太陽であり、皇帝は月である」
1215年、ローマ教皇インノケンティウス3世の権力は歴史上のピークをむかえました。
ローマ教皇といえば今はキリスト教のえらい人です。
しかし、中世のころはヨーロッパ中の政治や軍事にもかかわるものすごいパワフルさでした。
いったいどんないきさつでインノケンティウス3世は上の名言(?)を放つことになったのでしょう。
そしてその後、ローマ教皇庁はどうなっていったのでしょう。
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インノケンティウス3世とオットー4世
ヨーロッパ中のローマ・カトリック教会を政治・軍事の面で守るべき神聖ローマ帝国の皇帝。
インノケンティウス3世がローマ教皇だった時、ほぼほぼその地位にあり続けた人がおります。
オットー4世です。
そもそもオットー4世はお兄さんのフィリップと神聖ローマ皇帝の地位を争っておりました。
インノケンティウス3世は1198年教皇に即位。
すると、オットー4世をプッシュし始めます。
フィリップだってめげちゃいられません。
がんばって、オットー4世を押しのけていきます。
オットー4世はフィリップにだんだんやられてゆきます。
すると、インノケンティウス3世、「フィリップ推しに替えますか?」
つまり、こういうことです。
オットー4世はインノケンティウス3世に見捨てられました。
ところが、世の中はわかりませんね。
フィリップがいきなり暗殺されてしまいます。
するとインノケンティウス3世、「神聖ローマ皇帝はオットー4世くんということで」とふつうに認めてしまいました。
神聖ローマ皇帝の破門
オットー4世は神聖ローマ皇帝になると、インノケンティウス3世に反抗的です(そりゃそうもなるか……)。
なんとローマに進軍し、
「叙任権(司教や大修道院長の任命権)は今日からわしのもん。文句ある?」
とせまります。
インノケンティウス3世激怒。
「あなたのような神の敵は破門です!」
ローマ教皇による破門とは「お前はキリスト教社会全部の敵決定」ということを意味します。
ブーヴィーヌの戦い
インノケンティウス3世の作戦がじわじわと効いてまいりました。
オットー4世の味方はだんだん減ってゆきます。
オットー4世はそれでもイギリス王ジョンと組んでなんとかがんばります。
そして、1214年フランスのブーヴィーヌでオットー4世・ジョン王などの連合軍とフランス王フィリップ2世の軍が大激突します。
数では25000vs15000。
オットー・ジョン連合が上回っております。
しかし、フィリップ2世の策にまんまとかかってオットー・ジョン連合はそれぞれバラバラに攻撃。
フィリップ2世は敵を一個ずつ確実にやっつけ、フランス軍完勝です。
インノケンティウス3世、ついにあの名言を発する
オ4「無念……」
オットー4世の神聖ローマ皇帝としての野望は終わりです。
オットー4世は
「インノケンティウス3世様。私はかつての罪を悔いております。何とかあらためますんで、“破門”を解いてください」
といった内容で使者を送ります。
が、インノケンティウス3世は
「彼は今さら何を言ってるのかね」
とばかりにこの申し出をにぎりつぶします。
翌年ローマ教皇インノケンティウス3世は「第4ラテラン公会議」を開きました。
宗教会議です。
ヨーロッパ中の国王や領主、町の代表、えらい神父さんなどが集まってきます。
その出席者なんと1500人以上。
教皇様。これは、あの偉大なニカイア公会議(※)の再来ですね。
インノケンティウス3世はこの大舞台でついにあの名言(?)を放ちます。
オットー4世はこのころ神聖ローマ皇帝をやめさせられます。
替わりにインノケンティウス3世がかねてから推していたフリードリヒ2世が新たな神聖ローマ皇帝に立ちました。
インノケンティウス3世は翌年55歳で死去。
「やれることはきっちりやれたぞ!」
といった感じでしょうか。
それとも、やっぱりまだなにか心残りはあるもんですかね。
そう、実は、オットー4世に替わり新たに立ったフリードリヒ2世。
「王座上の最初の近代人」
とたたえられるほどの時代を先取りした君主。
十字軍でもイスラム側とよく語らって折り合ったりするようになります。
まあ、この人もローマ教皇に2回破門されるんですけどね。
そして、インノケンティウス3世が亡くなって80年ほど後、フランスが教皇を襲撃(アナーニ事件)。
ローマ教皇のブランドがとうとうかげりはじめます。
(※)325年おこなわれた宗教会議。アリウス派を異端と決定。
きょうのまとめ
① ローマ教皇インノケンティウス3世と神聖ローマ帝国皇帝オットー4世の間にはそもそもいろいろあった
② 要はオットー4世がインノケンティウス3世に負けた
③ ヨーロッパ中から1500人以上が集まった大舞台「第4ラテラン公会議」でインノケンティウス3世は「教皇は太陽であり、皇帝は月である」と言った
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