キリスト教の聖人と聞いてどんな人の名前が浮かびますか。
聖母マリア。
キリスト十二使徒のペテロ、パウロ。
フランスを救った英雄ジャンヌ・ダルクもそうです。
最近ならマザー・テレサ。
しかし、この人も世界的にものすごく有名です。
アッシジのフランチェスコ。
「はだかのキリストにはだかで従った」
と言うほどキリストの生き方を徹底的に追い求めようとした人です。
どんなすごい聖人だったのでしょう。
そして、権力がピークだったローマ教皇インノケンティウス3世との出会いとは?
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アッシジのフランチェスコの生い立ちとは
フランチェスコの出身はアッシジです。
“イタリアの長ぐつ”のちょうど真ん中あたりにあります。
アッシジだってもともとは俗人です。
母国の戦争にも参加します。
ところが負けてしまい、一年以上捕虜になってしまいました。
やがて、大病にもかかってしまいます。
幸い病気は治ります。
しかし、
「みんな結局死んじゃうんだな」
というのをあんまりたくさん経験したからでしょう。
今までの人生になにかむなしさを感じ始めます。
そうして、フランチェスコは洞窟などにこもって祈りをささげたり、瞑想をしたり。
そして、行動はさらにエスカレート。
とうとう家の財産すら勝手に教会に差し出し、お父さんに怒られて家出することになってしまいました。
フランチェスコ、徹底的に物欲を捨て去る
フランチェスコの目指すのは世間的な欲求を徹底的に捨て去ること。
お金を持っていること自体いけません。
物を入れるバッグはいりません。
服の替えもいりません
外であろうと、いつもはだしです。
ベルトは縄です。
インノケンティウス3世にお願いに
そして、ローマ教皇インノケンティウス3世に会いにゆきます。
「私とその弟子のやり方を認めてくれませんか」
ということです。
それに比べると、インノケンティウス3世はヨーロッパ世界の最高権力者です。
服装は肖像画で見ても相当豪華にビシッと決めております。
インノケンティウス3世はフランチェスコのお願いを……?
フランチェスコ、外国へと説得の旅
インノケンティウス3世はフランチェスコのお願いを許しました。
フランチェスコは神の教えを伝えに外国にも向かいます。
なんとエジプトまでわたると、十字軍に「戦争やめようよ」と説得しに行きました。
さらに、アラブ側の王様ともお話しし、「キリスト教徒にならない?」と誘いをかけます。
両方とも「OK」はもらえませんでした。
フランチェスコとインノケンティウス3世のちがい
フランチェスコはその後イタリアに帰ります。
そして、フランチェスコ流の生き方をつらぬいてゆきます。
フランチェスコの弟子たちもだんだん増えてゆきます。
けれども、フランチェスコには彼らをまとめ上げるのがむずかしくなってきます。
フランチェスコのやり方があまりに厳しいので、「もうちょっとゆるくしよう」という人たちも出てきます。
フランチェスコはそこで、「じゃ、後は任せます」と、彼らをまとめる役を弟子たちの中から選び、任せることにしました。
ここもインノケンティウス3世とは逆です。
インノケンティウス3世は人々を強引にでも言うことを聞かせようというところがあります。
また、いろんなことが起こりはしますが、組織を大きくし、まとめるのは上手です。
なので、インノケンティウス3世のキリスト教は信仰する人はとても多いです。
そして、どんな人でもわりとムリなく信仰できていました。
それに対してフランチェスコのキリスト教は俗世のむなしさからの脱出にものすごく本気です。
ただ、本人は組織をまとめるのが苦手です。
本気でついていける人もなかなかいません。
どっちがどうということでなく、たいがい何事でも世間一般向けから超専門向けまで幅広い範囲がありますね。
きょうのまとめ
太陽も月も星も風も水も火も大地も死ですらもみんなみんな神が創りだした“兄弟姉妹”(フランチェスコ『太陽の賛歌』より)。
というフランチェスコの考え方はとても宇宙に調和しております。
私はキリスト教徒ではありません。
が、この世にはなぜか絶対的な法則がたくさんありますね。
私たちもみんなその一部であることはまちがいのないことです。
そして、その大きな広がりと、また小さなものや一見目に見えないものへの思い。
フランチェスコのような人は“生きる”を飛び越えているから、亡くなってからも強くあり続けるのです。
① フランチェスコは自分たちの物欲をできるだけそぎ落とそうとした
② フランチェスコは組織を守るのに苦労した
③ フランチェスコの考え方はとても深く、ナチュラル
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