本多忠勝の兜は現在も実存しているのだろうか

徳川にこの人ありと言われた武将 本多忠勝は徳川四天王のひとりでした。

徳川家康が天下をとるために大活躍した人です。

家康の鎧兜は大黒天の頭巾をモデルにしているといいます。

大黒天様と言えば五穀豊穣のイメージでしたが、本来は意外にも軍神だったそうです。

それではその家臣の本多忠勝の兜はどのようなものだったのでしょうか。

またそれは今も本物が残っているのでしょうか。

今回は本多忠勝の鎧兜について調べてみました。

本多忠勝の鎧兜

鹿角脇立兜(かづのわきたてかぶと)

本多忠勝は鹿角脇立兜を使用していました。

家康と同じ黒いもので脇立には大きな鹿の角をあしらっています。

似たような兜を真田幸村が、身につけていましたね。

ドラマなどでは赤のイメージが強い幸村の鎧兜ですが実際に残っているものは黒色です。

本多忠勝が鹿の角を使ったのには理由があります。

忠勝が13歳の頃桶狭間の戦いから三河へ帰ろうとした時、矢作川が増水して渡れませんでした。

困っていた家康一行の前に、一頭の鹿があらわれしばらく川を見ながら渡りたそうに様子を見ていました。

するとある場所から川を渡り始め無事渡りきることができたのでした。

それを見た家康一行は、鹿が渡った場所が浅瀬だとわかり鹿の後に続いて川をわたったのでした。

本多忠勝はこの鹿は偶然そこにいたのではなく、伊賀八幡宮の神の使いであり自分たちを助けてくれたのだと考えました。

それで鹿の角を兜にあしらったのです。

桶狭間の戦いは忠勝にとって初陣だったので、特にそのエピソードは印象的でした。

だから鹿は自分や徳川家を護ってくれると考えたのも理解できます。

大きな鹿の角というと、なんとも重量がありそうですが、意外にもこの鹿の角は実際は和紙でできており、それほど重くないそうです。

その上取り外しができたといいますから、戦場では角を外して戦っていたのではないでしょうか。

本多忠勝ほどの武将なら本物の鹿の角を使っているのかと想像しましたが、

鹿は神聖なるもの、神様の使いと考えていた彼がその角を取ることなんて恐れ多いことだったでしょう。

黒糸威胴丸具足(くろいどおどしどまるぐそく)

この鎧は大変軽く動きやすいものでした。

本多忠勝が戦場で怪我ひとつしなかったのは、この鎧で軽々と相手をかわすことができたからだと言われています。

その上、この鎧には肩から大きな数珠をかけています。

これは自分が倒した敵の魂を弔うためだったといいます。

豪快で強面のようなイメージのある本多忠勝は、本当は繊細で心が優しい人だったのかもしれません。

しかし世は乱世の時代です。

きっと徳川家康のために、心を鬼にして戦ってきたのでしょう。

本多忠勝の鎧兜は現存するのか

安心してください。

現在は重要文化財として指定され、愛知県岡崎市の「 三河武士のやかた家康館 」に所蔵されています。

所有しているのは本多忠勝の子孫に当たる本多隆将(ほんだ たかまさ)氏です。

きょうのまとめ

本多忠勝の子孫はたくさんの苦労を重ねてその血筋を繋げてきました。

それでも本多忠勝の時代の甲冑の本物が今も残っていることに感動さえ覚えます。

たくさんの戦場でその全てを見てきた鎧兜は、忠勝亡き後の子孫の苦難も見てきたわけです。

徳川家を支え、戦い続けた忠勝の魂とともに。










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