平塚らいてうといえば、有名なのがこちらの名言ではないでしょうか。
「元始、女性は実に太陽であった」
この言葉は惹きつけられるとともに、ぼんやりとした意味しかわかりませんよね。
今回はこの名言の意味について、簡単にご紹介していきます。
平塚らいてうの名言の意味とは
名言の意味(重さ)をご紹介するには、
当時の時代背景などについて理解しなくてはいけません。
雑誌『青鞜』創刊の辞
そもそもこちらの名言は、青鞜社が発行していた雑誌『青鞜』の創刊号に寄せられた文章にありました。
さて、「元始、女性は実に太陽であった」はあくまでもその表題と書きだしです。
実はその後にも、まだ文章が続いているのです。
元始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。
今、女性は月である。
他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。
まだまだこの後も文章は続きますが、割愛します。
でも少し、意味が見えてきましたよね?
当時の時代背景
かつては太陽であった女性が、今は月のようだ、と。
月というと神秘的で美しいイメージを持つかもしれませんが、
「病人のやうな」という修飾語から、悪い意味として使われていることがわかります。
月は太陽がなくては輝くことができません。
すなわち平塚らいてうは、男性がいなくては女性は輝くことができない、という当時の状況を憂いていたのです。
雑誌『青鞜』が創刊されたのは明治44年(1911)。
当時はすでに女子大学も作られていました(平塚らいてうも日本女子大学校(現在の日本女子大学)出身です。)。
しかし女性の社会進出どころか、女性の地位は低いものでした。
例えば一番わかりやすいところでいうと、女性には選挙権なんてものはありませんでした。
女性は政治に口出ししてはいけなかったのですね。
そもそも男性に対しても普通選挙権(財産や納税額に関係なく、原則すべての成人が選挙権をもつこと。)が認められたのは1925年のこと。
一方、女性への選挙権が認められたのは、それから20年も後の1945年のことでした。
また、当時は家制度というものが存在していました。
家制度とは簡単に言うと、一家の主(主に長男)が家族を支配する制度のこと。
これは明治憲法下で定められていたものです。
この制度によると、女性の地位は一番下。
さらに女性だけでなく、男性も生まれた順番で序列化されていたのです。
地位の低い女性はたとえ夫がどんなに浮気をしても、姑にいくら意地悪をされても、耐え忍ぶことが良しとされていました。
今では考えられませんが、当時はまさに個人よりも「家」が重視された時代でした。
そんな時代、平塚らいてうは「元始、女性は実に太陽であった」と声を上げました。
これがどんなに革新的なことだったか、少しでも想像していただけたら嬉しいです。
今でも女性蔑視発言などが問題となりますが、それは「男女平等」が念頭にあるから生まれる批判です。
男女平等が当たり前でなかった時代に戦ってくれた女性たちがいたからこそ、今があるということですね。
きょうのまとめ
今回は平塚らいてうの名言について、簡単にご紹介しました。
② 平塚らいてうは当時の女性の地位の低さを憂いていた
③ 女性だけでなく、男性の間でも不平等が当たり前の時代があった
こちらのサイトでは他にも、平塚らいてうにまつわる記事をわかりやすく書いています。
より興味を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
関連記事 >>>> 「平塚らいてうが設立した青鞜社はどんな団体だったのか」
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