服部半蔵の名を聞けば多くの人は伊賀流の忍者を思い浮かべるでしょう。
しかしその通称で知られる二代目・服部正成は、そもそも徳川家康に仕えた武将で、厳密には忍者ではありませんでした。
戦国武将と忍者って…また全然違う気がします。
ではなぜ現代では彼に忍者のイメージが付いているのでしょう?
その秘密は家康の絶体絶命のピンチを救った、正成のある逸話が関係しています。
今回は彼の忍者たるイメージを決定付けたそのエピソードを中心に、
服部半蔵こと服部正成を巡る逸話をいくつか辿っていきましょう。
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服部半蔵とは?
家康の窮地を救い、伊賀忍者の頭領に
1582年6月のこと、織田信長に招かれ大坂は堺に訪れていた徳川家康を、とあるピンチが襲います。
そう、信長の家臣である明智光秀が反旗をひるがえし、信長を焼き討ちにしたことで有名な「本能寺の変」です。
信長と同盟関係にあった家康は、京都でこの事件が起こったことを聞くと、そのとき正成を含む30人ほどしか配下を連れていなかったこともあり、このまま滞在するのも危険と判断。
ひとまず自国の三河(現在の愛知県豊川市)へと引き返すことに決めます。
しかし道中はここぞとばかりに家康の首を狙う賞金稼ぎがウヨウヨしており、それもまた容易ではありませんでした。
このときに活躍したのが正成です。
彼は父親の保長が元伊賀流忍者だったため、三河へ続く道中の伊賀・甲賀の権力者たちにも顔が利き、彼らに警護を依頼することに成功します。
またそのとき家康一行が通ったのも忍者しか知らないルートで、このおかげで家康は危機を脱し、無事に三河へと帰ることができたのです。
この一件からそのとき警護についた忍者たちは家康の配下に迎え入れられ、正成はその功績からこの一団の頭領を任されることに。
服部半蔵は自身が忍者だったわけではなく、忍者たちのまとめ役になったことからそのイメージが作られたのです。
伊賀衆が守った江戸城西門は「半蔵門」と呼ばれるように
正成が頭領を務めた伊賀衆は、主に江戸城西門の警護を任されていました。
なんでもスパイへと送り出される忍者の出入り口にも、西門が使われていたとのことです。
その経緯からこの門は通称「半蔵門」と呼ばれるように。
門自体がその名前になってしまうとは、正成が当時どれほど名を馳せた武将だったかが伺えますね。
現在も半蔵門は天皇陛下の皇室への出入りに使われるなど、まだまだ現役で活躍しています。
そのほか地下鉄半蔵門線もこの半蔵門が由来となっていたり。
服部半蔵の名もどうりで親しみ深いわけです。
情に厚く、介錯を命じられても主君の息子は斬れなかった
家康配下で目まぐるしい活躍をみせた正成は、伊賀衆のまとめ役となったほかに戦の腕も立ち、「鬼半蔵」と恐れられるほどの人物でした。
しかし鬼の目にも涙という言葉のごとく、情に厚いその人柄を表すこんな逸話も残っています。
1579年のこと、織田家と敵対していた武田家に、家康の嫡男・信康が内通していることが発覚し、信長は信康を処刑するよう、家康に命じました。
同盟を結んでいるとはいえ、当時のパワーバランスは家康よりも信長のほうが上。
この命に背くことは徳川家の立場を危うくすることと同じだったため、家康は苦渋の決断で信康の処刑を決行します。
そのとき切腹した信康の介錯を任されたのが正成でした。
家康は腕の立つ者に介錯させることで、我が子をなるべく苦しませずに死なせようとしたのです。
しかしこのとき正成は
と涙を流し、とうとう信康を斬れませんでした。
結局、同席した者が代わりに介錯し、その場は収められたとのこと。
その後、1590年になると正成は頭を丸め、西念と名を改めて出家。
信康の遺髪を供養し、僧侶としての日々を過ごしたといいます。
信康の処刑から10年間、正成は徳川家の重責を任されるなか、その死をずっと忘れられずにいたのですね…。
きょうのまとめ
服部半蔵は自身が忍者なのではなく、徳川に仕える忍者をまとめるリーダーでした。
そして彼がその役目を果たせたのは、その人情味あふれる人柄も無関係ではないでしょう。
部下からも慕われていたでしょうし、本能寺の変の際の伊賀越えで伊賀・甲賀の権力者から協力を得られたのも、同郷の彼らが正成をよく思っていなければ成し得ないことです。
武術や知略に優れていたのはもちろんですが、何より魅力的な人柄を兼ね備えた人物だったのでしょう。
最後に今回のまとめをしておきます。
① 服部半蔵に忍者のイメージがあるのは、本能寺の変の際、家康のピンチを救ったのをきっかけに伊賀忍者たちの頭領となったから
② 伊賀忍者の仕事は江戸城西門の警護。その経緯から西門は現在も「半蔵門」の異名で知られている
③ 服部半蔵はとても人情深く、家康の息子の処刑の際、介錯ができなかった。後にその死を弔うために僧侶になっている
忍者ではないというのは少し残念な気はしますが、それに有り余る逸話をたくさん残している服部半蔵。
やはりすごい人物ですね。
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