支倉常長の子孫がスペインにいる?

 

伊達政宗がヨーロッパへ派遣した遣欧使節団(けんおうしせつだん)。

それを率いた支倉常長(はせくらつねなが)。

彼の子孫がスペインにいるのではないか、という話があります。

今回はその真実について調べてみました。

 

支倉常長の子孫はスペインにいるのか

遣欧使節団のリーダーという立場だった支倉常長。

彼の子孫が本当にスペインにいるのでしょうか。

見ていきましょう。

コリア・デル・リオ

スペイン・アンダルシア州セビリア県にコリア・デル・リオという場所があります。

艦隊や商船の玄関口として栄えた町で、

支倉常長が率いた遣欧使節団が滞在した町としても知られています。

1614年に数日間この町に滞在したあと、セビリアに入ったと記録されています。

遣欧使節団が日本の牡鹿半島の月ノ浦を出発したのが1613年ですから、

旅の往路であったことが分かりますね。

復路でもこの町に立ち寄ったことは分かっているのですが、

1617年に、コリア・デル・リオのヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレト修道院に1年間滞在した、

コリア・デル・リオには9ヶ月滞在した、もしくは2年間滞在したなどさまざまで

はっきりとした場所や期間が分かっていません。

遣欧使節団の記録が断片的なため、その足取りがよく分かっていないためです。

支倉常長自身が書き記した訪欧中の日記が1812年(文化9年)までは

残っていたことが確認されていますが、現在では幻の資料となってしまっています。

しかし往路復路ともに、遣欧使節団がこのコリア・デル・リオに滞在したことは事実です。

ハポン姓は子孫?

支倉常長たち遣欧使節団が滞在したコリア・デル・リオには

ハポンという姓を持つ人たちが約600人から800人います。

ハポンとはスペイン語で「 日本 」を意味する言葉です。

日本に伊太利亜(イタリア)さん、土耳古(トルコ)さん、露西亜(ロシア)さん

という名前の人がいるようなものです。

ちょっと驚くし、びっくりしますよね。

現地の郷土史家の研究によると、コリア・デル・リオに遣欧使節団が滞在する前は

ハポンという姓は存在しなかったそうです。

そのことから、ハポン姓を持つ人たちは遣欧使節団の日本人の子孫だと言われています。

現地のハポン姓を持つ人たちも「 私たちの先祖は日本から来たサムライ

と認識しているそうです。

と言う事は、このハポン姓を持つ人たちの中に支倉常長の子孫がいるのでしょうか。

残念ながら、支倉常長の子孫ではないようです。

遣欧使節団の中にはコリア・デル・リオに残った日本人もいました。

ハポン姓を名乗っているのは、その日本人の子孫である可能性が高いのです。

日本の子孫

支倉常長の子孫はスペインにはいないものと思われますが、

日本にはいらっしゃいます。

支倉家は常長の嫡男・常頼が継ぎますが、家臣がキリシタンであったことの責任を問われ、

切腹させられてしまい、支倉家は断絶してしまいます。

しかし常頼の子である常信の時に許され、支倉家は再興します。

それからは子孫を繋ぎ、激動の明治時代を生き抜き10代当主までは、

宮城県大郷町で暮らしていましたが、11代の時に仙台市に移り住みました。

現在の支倉家当主は13代目・支倉常隆さんです。

スペインではありませんが、現在も支倉常長の子孫は続いているのです。

きょうのまとめ

支倉常長の子孫とスペインについて、いかがでしたか?

スペインに支倉常長の子孫はいませんでしたが、サムライの子孫はいました。

そして支倉常長の子孫は現在も日本にいます。

ハポン姓を持つ方々と常長の子孫は交流があるそうです。

なんだか素敵な話しですね。

 

支倉常長の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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