幕末の日本で、実業家として幅広く活躍した
トーマス・グラバー。
彼が暮したグラバー邸は現在も長崎市の観光地として多くの人に親しまれています。
今回は、そんなグラバーの後を継いだ息子と娘のこと、そして子孫についてのお話です。
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トーマス・グラバーの家族
スコットランド出身のトーマス・グラバーの父親は、
アバディーンで沿岸警備隊をしていたトーマス・ベリー・グラバー。
母親は、メアリーです。
2人の間には8人の子供たちがおり、その5番目がトーマスでした。
グラバーの息子・倉場富三郎
幕末の長崎にやってきたトーマス・グラバーは、特に貿易業や武器の売買で活躍します。
トーマス・グラバーには、妻のツルと一緒になる前に共に暮していた女性がいました。
1人は、遊女の菊園。
彼女との間には一児がありましたが、幼くして亡くなってしまいました。
彼にはやがてある日本人女性との間に息子が誕生。
それが倉場富三郎です。
イギリス系日本人として生きた彼は、混血に対する時代的な偏見もあり、苦労の多い人生を送りました。
富三郎の本名
グラバーの息子の名前は、トミサブロー・アワジヤ・グラバーです。
ただ、通常は「倉場富三郎」の名前を使用していました。
もちろん、「倉場」というのは「グラバー」をもじったものです。
父親のトーマス・グラバーは、息子のことを「トミー」と呼び、学友たちは「富さん」と呼んだそうです。
母親は誰?
富三郎は1871年に長崎で誕生し、トーマス・グラバーを父とし、淡路屋ツルを母としていますが、ツルは義母のようです。
また、明治元年つまり1868年の「外国人品人名前調帳」に、グラバー邸の住所にトーマス・グラバーと共に妻として記された女性がいます。
加賀マキと呼ばれるこの女性が富三郎の実の母親でないかと言われています。
実際に富三郎本人も、公的文書に「母 加賀マキ」と記しているのです。
富三郎の父であるトーマス・グラバーはその後、加賀マキとなんらかの事情で別れ、ツルと共に富三郎を引き取ったのです。
イギリス人と日本人の血を引く彼の、さらなる複雑な家庭事情がわかります。
富三郎の妻子
富三郎の妻の名前は、中野ワカ。
彼女もイギリス人との混血であり、グラバーに引き取られて養女として育った女性です。
富三郎との間には子供はありませんでした。
お互いイギリス人と日本人の血が流れる混血児として、心に通い合うものがあったのかもしれません。
混血児としての苦労と死
学習院を中退したあと、アメリカの大学で生物学を学び、日本に帰国します。
そして父親の起こしたグラバー商会からのれん分けされた貿易会社ホーム・リンガー商会や、事業を興して長崎の実業界で活躍しました。
水産学者でもあった彼による水産動物についての図譜『日本西部及び南部魚類図譜』、いわゆる『グラバー図譜』の編纂は、高く評価されています。
しかし太平洋戦争の開戦後、イギリス人の血が流れる彼には、スパイ容疑をかけられ監視されながらの生活が強いられました。
戦艦武蔵建造の機密保持を理由にグラバー邸を追い出され、妻・ワカにも先立たれてしまいます。
子供がいなかった富三郎にはつらい思いを分かち合う者もありません。
さらに、アメリカによる長崎への原爆投下で、自分の故郷がめちゃめちゃに破壊されるのを目の当たりにした富三郎。
絶望した彼はついに1945年に首つり自殺を図ってしまいました。
享年74歳。
子供のない富三郎の死によって、彼の家系は断絶となりました。
彼は妻と共に、両親も眠る長崎市にある外国人墓地の坂本国際墓地に埋葬されています。
グラバーの娘・ハナの子孫は現在も!
トーマス・グラバーとツルの間にはハナという女の子が誕生していました。
富三郎の異母妹です。
彼女はのちにイギリス商人のウォルター・ベネットと結婚。
4人の子供をもうけました。
日本国外ではありますが、彼女の子孫は続いており、1988年生まれのサイラス・グラバー・ベネットさんがいらっしゃることも分かっています。
グラバー一家が暮した住宅・グラバー邸の現在
トーマス・グラバーの家族が暮した家・グラバー邸は、現在グラバー園として長崎市の観光施設となっています。
正確には、グラバーと同様に長崎開講後にやってきたイギリス商人のリンガー、オルトたちの邸宅があった敷地に作られた野外博物館です。
いくつかの長崎市内に残されて居た歴史的建造物も移築されています。
グラバー邸は、その洋風建築が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼。造船、石炭産業」の構成資産ともなっています。
日本に現存する木造洋館としては最古のものです。
きょうのまとめ
今回は、幕末・明治の時代に実業家として活躍したトーマス・グラバーの息子・富三郎と娘・ハナ、そしてグラバーの子孫についてのお話でした。
簡単なまとめ
① トーマス・グラバーには庶子で後継者の倉場富三郎と妻との間にできた娘のハナがいた
② 息子・富三郎は、長崎の実業階で活躍。だが、イギリス人と日本人との混血だったことでの苦労も多く、太平洋戦争後に自殺して彼の家系は断絶
③ グラバーの娘のハナの系統の家系は現代にも続いている
④ グラバー一家が暮したグラバー邸は、日本に現存する最古の木造洋館であり、世界遺産の構成資産の一つ。長崎市の観光地として親しまれている
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