アメリカ合衆国の初代大統領ジョージ・ワシントンはとても誠実な人がらで知られております。
そんな彼の性格を示す一番有名なエピソードが「桜の木」。
●いったいどんなエピソード?
●エピソードにまつわる意外な事実
●日米友好と桜にまつわる歴史
を紹介し、改めて人々がその花にこめた思いを見つめなおしましょう。
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ジョージ・ワシントンと桜の木のエピソードとは
ジョージ・ワシントンがまだ子どもだったころ、鍛冶屋さんから斧を借りてきました。
あんまりワクワクして何か切りたくなり、お父さんが大事にしていた桜の木を傷つけてしまいました。
ところが、後になって後悔の気持ちがもたげてきます。
そこで、ジョージ・ワシントン、怒られることを承知でお父さんに素直に打ち明けます。
すると、お父さんは、
「よく言ってくれた。お前の素直さは1000本の桜より値打ちがある」
とかえって褒めたたえました。
素直さの大事、そして、後々のジョージ・ワシントンの人がらを思わせるエピソードです。
ジョージ・ワシントンの桜の木のエピソードは作り話?
実はこのエピソード、作り話なのではないか、と言われております。
ジョージ・ワシントンは人がらがよくてみんなの人気者。
彼の支持者の中にメイソン・ロック・ウィームズという牧師がおりました。
メイソン・ロック・ウィームズはジョージ・ワシントンのことがあんまり大好きすぎて、とうとうこのエピソードを作りあげ、広まってしまった、と言われます。
いつから桜はアメリカにあったのか?
そもそもこの時代、桜がアメリカにあったのか、という疑問もあります。
「なかった」という意見もあれば、「オランダ統治時代(17世紀前半)には移植されていた」という意見もあります。
そもそも桜って日本やアジアのイメージが強いですけれど、ヨーロッパや北アフリカ、中東などでも原生していたのです。
チェリーという言葉があるくらいですので。
日米、桜の交流秘話
ポトマック川のほとりへの桜の移植
桜と言えば日本の国の花。
満開の桜を見ていると、不思議なものです。
何か異世界に通じているような、そんな心地がします。
美しくハラハラと……。
実はアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.でもこの花はとても大事にされております。
全米桜祭り(Natinal Cherry Brossom Festival)を知っているでしょうか。
毎年季節になるとたこあげ大会や着物のファッションショー、日本酒やスシによる祝賀、などが盛大にもよおされます。
いつから、なぜ、このお祭りがさかんに行われるようになったかというと、19世紀終わりごろから20世紀初めごろにかけて、アメリカから日本にわたった人たちの間で、日本の桜に感動し、「ぜひ、ワシントンD.C.にも」という計画が熱を帯びてきます。
そしてちょうどそのころ日本は日露戦争をおこない勝利。
日露の間で戦後の話し合いがむずかしくなりますが、そこでアメリカ合衆国が名乗り出て、うまくまとまるように手伝ってくれました。
日本側でも、アメリカ合衆国になにか恩返しがしたいね、ということで、
「なら、あなた方が望んでいる桜の苗木をこちらからたくさんプレゼントさせてください」
となりました。
今、ワシントンD.C.ポトマック川のほとりにあるたくさんの桜並木はその時の友好の証しです。
桜とハナミズキ
その後、日米両国は第2次世界大戦であい争うこともありました。
その時はポトマック川の桜の一部が切り倒されるという悲しいこともありました。
そして、桜祭りまで休止されてしまいます。
しかし大戦が終わると、桜祭りは再開。
1948年にはアメリカ側から東京へハナミズキの苗木が返礼としておくられました。
以来、両国の交流をふまえて祭りはいよいよ盛大となり、今にいたっております。
ちなみに、「00年代に流行ったあの名曲と関係あるんじゃ?」(一青窈さんの「ハナミズキ」です)とおもったかもしれません。
あります。
大いにありますよ。
あの歌手の方は9.11.でアメリカにいた知人が亡くなってしまいました。
そして人はお腹に子を宿していたのです。
平和への願いを込めたあの歌詞をもう一度かみしめてみるのはいかがでしょう。
きょうのまとめ
① ジョージ・ワシントンは子どものころ桜の木を傷つけてしまい、それを素直に自白した、というエピソードがある
② ジョージ・ワシントンの桜の木エピソードは作り話だ、とよく言われる
③ 桜とハナミズキは日米友好の象徴
せっかくの話に腰を折ってごめんなさい。
でもやっぱり、何でも素直、で本当にいいのでしょうか?
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