ガリレオ・ガリレイとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

学者さんというとあなたなどのようなイメージを持っておりますか。

真実に一途。

そんなひたむきさで時代を切り開いてゆく。

ノーベル賞なんかでも話題になってますが、かっこいいですよね。

今回はまさにそんな気質を持ったイタリアルネッサンスを代表するスーパースター、

ガリレオ・ガリレイを紹介です。

「それでも地球は回っていた」

を、実はガリレオ・ガリレイは言ってません!

 

ガリレオ・ガリレイはどんな人

プロフィール
ガリレオ・ガリレイ

出典:Wikipedia

  • 出身地: イタリア・ピサ
  • 生年月日: 1564年2月15日
  • 死亡年月日: 1642年1月8日(享年77才)
  • イタリアルネッサンスを代表する物理学者・天文学者

 

 

ガリレオ・ガリレイの年表

年表

1564年(0才)ガリレオ・ガリレイ生まれる

1581年(17才)ピサ大学入学

1585年(21才)ピサ大学中退

1592年(28才)ヴェネツィアのパドヴァ大学の教授となる

1609年(35才)望遠鏡を自作

1610年(36才)木星の衛星を発見。フィレンツェに移住。

1613年(39才)『太陽黒点論』を刊行

1616年(42才)第1回異端尋問

1632年(68才)『天文対話』刊行

1633年(69才)第2次異端尋問

1638年(74才)『新科学対話』刊行
1642年(77才)ガリレオ・ガリレイ亡くなる

 

ガリレオ・ガリレイの生い立ち

ガリレオ・ガリレイはイタリア北西部ピサで、有名はリュート奏者で呉服商もやっているヴィンチェンツォ・ガリレイの子として生まれました。

ガリレオ・ガリレイはもともと修道院の付属学校に入学しております。

しかし、そこを辞め、医者を目指してピサ大学に入学。

そこで、ユークリッド幾何学の講義を見て心打たれ、またまた方向転換します。

 

望遠鏡で続々新発見!

中退後は大学教授などを転々。

ちょうど、望遠鏡が話題になっており、ガリレオ・ガリレイはいじくってただのおもちゃから本格的な研究器具に発展させます。

そして、ガリレオ・ガリレイはその望遠鏡を使ってドンドン天体観測!

●月ってデコボコなんだ

●地球照(新月前後の月の影が灰色がかって見える現象)って地球からの光なんだ

●木星には衛星があるんだ

●金星には満ち欠けがあるんだ

新事実を続々発見です。

すると、わかってきたことがあります。

「地球は太陽の周りをまわっているよね」

つまり、地動説ということです。

でも、当時の常識は天動説

「太陽が地球の周りをまわっている」

というのです。

聖書にも書いてますし、むかしの大学者アリストテレスもそう言ってました。

 

第1次異端尋問

そこで

「ガリレオ・ガリレイってやつはけしからん!」

という人が出てくるのです。

何だかんだと彼と論争になり、陰謀まで次々と、それはたくみに張りめぐらされます。

ガリレオ・ガリレイはちょっと一本気なところがあって、そのワナにまんまとかかってしまいます。

こうして、

「ガリレオ・ガリレイはふらちにも聖書に書いていることにいちゃもんを付けていやがりますぜ」

となり、異端尋問へ。

この時は

「そんな説を言っちゃダメですよ。書いちゃダメですよ」

と判決がおります。

これにガリレオ・ガリレイはすっかりふさぎ込んで病気にもなってしまいました。

しかし、だんだんとそれも治り、またいろいろと研究して『天文対話』という新刊も発行いたしました。

ところが……。

 

第2次異端尋問とその後

反対派は『天文対話』に描かれているささいなところをつついて曲解し、

「これ、ローマ教皇をバカにしてまっせ」

と、教皇に吹きこみます。

ソッコーで『天文対話』は発禁

ガリレオ・ガリレイはまた異端審問所に呼び出され、とうとう

「信仰を取るか。自分の学説を取るか。」

の究極2択をせまられます。

これを断ると何をされるかわかりません。

実際に火あぶりで殺された先輩学者も知っております。

ガリレオ・ガリレイはしぶしぶ「自分の学説を捨てる」とし、死刑を免じて無期懲役に。

1年後釈放されましたが、自宅に軟禁状態のまま生涯(しょうがい)を終えなくてはならなくなります。

ただ、ガリレオ・ガリレイはそんな中にあっても研究をやめず、失明してなお弟子たちに言ったことを書き止めさせるほどです。

天才は77才でその生涯を終えますが、彼の支持した地動説が世の常識となるのはもう間もなく。

そして、彼の偉大なる業績とその名前は今なおまぶしく輝き続けております。

 

きょうのまとめ

① ガリレオ・ガリレイは自作の望遠鏡で新発見を続々

② ガリレオ・ガリレイの地動説は当時の守旧派に危険視されており、いろんな妨害(ぼうがい)をされた

③ ガリレオ・ガリレイはそれでも研究を辞めようとはしなかった

「見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない。」

byガリレオ・ガリレイ

出典: http://iyashitour.com/archives/26007

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