快慶とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

日本の仏師の中でも快慶かいけいは、運慶とともにとても有名ですね。

さて快慶とは、一体どんな人物だったのか見て参りましょう。

 

快慶はどんな人?

プロフィール
  • 出身地:未詳
  • 生年月日:未詳
  • 死亡年月日:未詳(享年 不明)
  • 巧みな技と深い浄土信仰により、気高さと慈悲を併せ持つ仏像を生み出したスーパー仏師

 

快慶年表

年表

西暦 *生没年未詳のため年齢は記載していない

1183年 運慶が願主となって作られた法華経「運慶願経うんけいがんきょう」の結縁者けちえんしゃとして加わる

1189年 興福寺の弥勒菩薩立像を制作する

1192年 醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像を制作する

1203年 快慶は僧位である法橋ほうきょうに任じられる。東大寺南大門の金剛力士像の造営に参加

1208年〜1210年 この頃法眼ほうげんに叙任される

1227年 この年にはすでに死没している

 

快慶の生涯

実は、残念なことに彼の生没年は明らかになっておらず、年齢や享年もわかっていません。

快慶の初期の活動

快慶の名前が最初に歴史に登場するのは、1183年。

運慶が願主となって制作した法華経『運慶願経』全8巻の末尾に結縁者(仏道に入る縁を結んだ人)の一人として彼の名前が見られます。

快慶は、運慶の父親である康慶の一門慶派に属する仏師の一人として、奈良を中心に多くの仏像制作に関わっていました。

仏師快慶の作品として最も古い作品は、1189年作の興福寺のために作られた弥勒菩薩立像みろくぼさつりゅうぞう(ボストン美術館蔵)です。

そして現存する2番目に古い作品は、1192年作の醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像みろくぼさつざぞう

後白河法皇追善供養のための造像でしたが、それに抜擢された快慶は、慶派の中でも高い技術を持った特別な存在だったことがわかります。

この像の制作以降、快慶は自分の作品に「巧匠アン阿弥陀仏」(アンの文字は梵字)と記すようになりました。

彼は阿弥陀信仰者だったため、阿弥陀如来像を多数手掛けました。

快慶の理知的、絵画的で繊細な作風は「安阿弥様あんなみよう」と呼ばれています。

快慶の活躍と重源

快慶が、兄弟子・運慶と共に仏師としての大舞台で活躍したのが、東大寺再興のための造像プロジェクトでした。

生前の後白河法皇の支援で始まったこの大プロジェクトは、東大寺大仏再興の大勧進(総責任者)だった僧・重源ちょうげんによって推進されました。

東大寺南大門の金剛力士像の造像は慶派に任され、運慶の指揮の下に快慶もその腕を大いにふるった傑作の一つです。

仏師としての力量はもちろんですが、快慶は特に東大寺や東大寺別所など重源が関わる寺院の造像をいくつも担当しています。

阿弥陀信仰者だった快慶は、重源とも個人的に親交があり、それが彼の抜擢にも繋がったと考えられています。

快慶の死

快慶は、自身の造像作品には記銘を行っていました。

そのおかげで真作だと判断されるものが40件ほど現存しています。

大寺院だけでなく、小さな寺院にも快慶の作品が残されていることが判明しており、有力な顧客だけでなく大衆からも幅広く仕事を請け負う庶民的な面のあった仏師だと考えられています。

快慶は1208年から1210年までの間に、運慶の父と同じ地位である僧位の「法眼」に叙任されました。

また、この頃から運慶一派から離れて、自分の弟子たちとともに独自の創作活動もしていたようです。

京都府城陽市・極楽寺の阿弥陀如来立像は、快慶の弟子・行快の作品です。

その胎内に収められていた1227年付の文書には

過去法眼快慶

とあり、1227年時点では快慶が既に亡くなっていたことがわかります。

 

運慶とはひと味違う快慶作品の魅力

快慶は、同じ慶派に属する仏師でありながら、運慶ともまた違った作風・魅力にあふれた仏像を造像しました。

快慶と運慶の関係

慶派における快慶の立場を運慶と比較してみましょう。

運慶は、慶派一門の頭領だった康慶こうけいの弟子でありかつ実の息子です。

そしてのちに康慶の跡を継いで慶派のトップとなります。

快慶は、慶派工房における康慶の非常に優秀な弟子でした。

快慶と運慶は血の繋がった兄弟ではありませんが、兄弟弟子の関係にあり、快慶は慶派一門の活躍に運慶と並んで大きく貢献した仏師なのです。

快慶の作風とは。運慶との違い

同じ慶派でも快慶と運慶の特徴には違いがあります。

作風としてはむしろ対照的でした。

鎌倉幕府の要人に主な顧客を持った運慶と違い、快慶は客層にこだわらず、様々な場所で仏像を制作したようです。

快慶の信仰する浄土宗は民衆に大変人気のある宗派であり、そのため快慶も大衆的な仕事を引き受けたのだろうと思われます。

【運慶作品の特徴】

・仁王像のような荒々しい形相のものが得意

・巨大な像を手掛けることもあった

・武士に人気があった

・署名された作品がほとんどみられない

・力強く剛健、写実的

【快慶作品の特徴】

・阿弥陀如来像や菩薩像といった慈悲の心をあらわす像が得意

・1メートル以下の小さめの作品が多い

・高僧や浄土宗を信仰する庶民に造像を求められた

・多くの作品に署名が残る

・理知的で写実的、繊細で優美

・独特の絵画的繊細な美しさが「安阿弥様あんなみよう」と呼ばれ、後世の仏像彫刻に影響を与えた

快慶と重源との関係

快慶は優れた技術を持った仏師でしたが、運慶と並んで東大寺の仏像づくりを任されたのにはもう一つ別の理由がありました。

それは、東大寺再興のプロジェクトリーダーが重源だったからです。

重源上人は浄土宗の僧侶で、同じ浄土宗を信仰する快慶とは親交もあり、彼の才能を高く評価していたのです。

そのため、快慶はその他の重源に関わる像を制作しており、さらに他の高僧のための造像も引き受けています。

高僧とはそれほど接触のなかった運慶とはおもしろい対照です。

快慶の創造する仏像の世界観に僧たちのイメージと通じ合うものがあったのでしょうか。

 

ぜひ見て欲しい快慶3つの代表作

東大寺南大門の金剛力士像は、運慶の総合指揮のもとで快慶や他の慶派仏師たちが共同作業で完成した素晴らしい作品です。

彼の巧みな技を伝える現存作品はまだありますから、その中から3作品ご紹介しましょう。

弥勒菩薩立像

ボストン美術館蔵
弥勒菩薩立像みろくぼさつりゅうぞう

像内に納入されていた経文の奥書によって1189年作の現存する快慶の最古の作品であることが判明しました。

明治時代の廃仏毀釈が進む日本で、危機に瀕していた沢山の仏教美術品の中の一つでした。

それがボストン美術館に勤めていた岡倉天心おかくらてんしんによって購入され、現在に至ります。

瞳を描いた水晶を用いてつくられた玉眼ぎょくがんの眼は切れ上がり、知的な印象。

両腕に纏う条帛じょうはくとよばれる衣の流れるような表現は、その後の彼の作品に多く見られる巧みな衣文の原型ともいえる作品です。

僧形八幡神坐像

国宝 東大寺
僧形そうぎょう八幡はちまん神坐像しんざぞう

地蔵菩薩のような外見の八幡神が、華やかな色彩の袈裟をまとって蓮華座に坐る、非常に写実的な作品です。

像の内部に残された墨書により、1201年に開眼した快慶作品だと判明しました。

美しい彩色が見事に保存されており、台座・光背・右手に持つ銅製の錫杖も当時のままです。

東大寺戒壇院近くの八幡殿に安置されている秘仏で、公開日が決められています。

渡海文殊群像

国宝 安倍文殊院
渡海文殊群像とかいもんじゅぐんぞう

雲海を渡り、人々を救うために知恵を授ける説法の旅へとでかける獅子に乗った文殊菩薩とその脇侍たち

維摩居士ゆいまこじ(最勝老人さいしょうろうじん)

須菩提しゅぼだい(仏陀波利三蔵ぶつだはりさんぞう)

・獅子の手綱を持つ優填王うてんおう

・先導役の善財童子ぜんざいどうじ

です。

本尊の文殊菩薩は高さが7mで日本最大。

その気高い姿が拝観する人を圧倒します。

木彫極彩色の像は、理知的でハンサムな顔が特徴的です。

この像の胎内墨書銘より、1203年に造像された快慶作だと判明しました。

快慶の技の巧みさは、脇侍たちの写実的な表情や衣・衣服の流れるような紋、腰を捻った立ち方などにも随所に表れています。

文殊菩薩に呼び止められて振り返る無垢な表情の善財童子は可愛いらしいですよ。

 

きょうのまとめ

簡単なまとめ

快慶とは、

① 慶派に属し、康慶の弟子で運慶の兄弟弟子

② 浄土宗を信仰し、慈悲にあふれ理知的で優美な阿弥陀如来像、菩薩像を多く残した名匠

③ 特定の客層にこだわらず、高僧から大衆まで求められた仏像を幅広く手掛けた大仏師

でした。

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku