関東の平将門と同様に同時期に瀬戸内で反乱を起こした藤原純友。
日本三悪人の一人として扱われ、怨霊として神として恐れられた平将門は、日本の各地に彼に関わる塚や神社が数多く残っています。
ところが、藤原純友については平将門ほど研究も進んでおらず、純友に由来する場所はあまり知られていません。
そんな中、藤原純友を祀る神社が岡山県の松島に残されています。
どんな神社でしょうか。
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藤原純友に関わる神社
実は、松島だけではなく藤原純友に関わる神社は幾つかあります。
松島にある神社を含めてご紹介しましょう。
純友神社
松島とは岡山県下津井にある港から釣り人用の渡し船で10分ほどの島です。
人口はたった3人(2018年)の島。
その東北端近く、竹藪の先に藤原純友を祀った純友神社があります。
島民が3人だけですから、純友神社の維持管理も難しい状態です。
内部は朽ちてしまっていますが、石灯籠や手水、拝殿、本殿、狛犬もあり、木製の額には確かに「純友神社」と書かれています。
昔は島の若者が神輿を担いで島を練り歩く祭があり、出店が出るなど賑やかだったこともあるそうです。
社殿の近くには大丸と呼ばれる高台があり、それが純友の居城・大丸城だった場所ではないかと言われています。
本殿の裏は崖になっており、すぐ目の前は海と児島半島の最南端の岬があります。
<純友神社>
岡山県倉敷市下津井2563
中野神社
松島の純友神社と並び藤原純友を祀る珍しい神社です。
元は新高神社と並んで社殿があったのですが、土砂崩れのために社殿が流失してしまいました。
現在は、新高神社本殿にご神体のみが移されて合祀されています。
由緒書きの碑には、伊予掾(地方役人である国司の3等官)として赴任した藤原純友が大いに慕われ、やがて伊予水軍の頭領となって伊予の地で中央に反旗を翻した結果、討伐軍に敗れて中野神社に近い中野山で討たれたと記されています。
その中野山は神社の跡地の東にあり、討伐された純友の霊を祭る神社を建てたのが縁起です。
<中野神社>
愛媛県新居浜市種子川山甲12
久枝神社(ひさえだじんじゃ)
松山市の住宅街の中にある神社です。
この神社の境内には駒立岩があります。
駒つまり馬に乗った純友がこの岩の上から潮の干満を見たという伝承があるのです。
近くの谷に埋没していたものを掘り出して場所を神社境内に移して復元したということです。
また、久枝神社の南「大明神が丘」に「純友公の館跡」の石碑が建っています。
しかし、現在は館の跡は全く残っていません。
しかし、館があった当時使用されたと伝えられる井戸跡があります。
大宰府で大敗した純友が北九州から伊予に敗走してこの地に住んでいたその名残だそうです。
941年に純友が殺害されたのがこの地とも言われています(捕まって獄中で病死したとされる説もある)。
<久枝神社>
愛媛県松山市古三津町1257
きょうのまとめ
今回は藤原純友に関わる神社についてご紹介いたしました。
いかがでしたでしょうか。
簡単なまとめ
① 平将門と比べて藤原純友に関わる場所はあまり知られておらず、数も少ない
② 藤原純友自身を祀った神社は2社がかろうじて残っている
③ 神社そのもの以外にもいくつか純友を偲ぶ跡や伝説が残っている
残念ではありますが、なぜか藤原純友に関わる史跡は平将門ほど多くはありません。
僅かに残った関連神社も存続が厳しい状態です。
藤原純友の歴史が風化してしまわないことを祈ります。
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