藤原道長にまつわる「日記」と「物語」文学

 

藤原道長の日記は国宝で、ユネスコの世界記憶遺産だと知ってましたか? 

だいたい道長が日記を書いていたということを知らない方も多いかも知れませんね。

ここでは、道長と「 日記 」や「 物語 」などの文学との関わりを見てみましょう。

 

日記・物語と道長との関係

道長の時代は日記や物語文学が沢山誕生し、それが朝廷の話題の中心にもなる華やかな時代でした。

『御堂関白記』

藤原道長の書いた日記です。

御堂関白記 』は後世つけられたタイトル。

実は藤原道長は関白になったことはないのでこれは正しい題名とは言えないのですが。

道長の33歳から56歳にかけての記録が自筆本として14巻残っています。

実は、誤字や当て字が大変多く、また字もあまり上手ではなかった道長。

読む人を困らせるかなり難解な日記だと言われています。

ただし、喜びや怒りなど感情表現が素直で、人間道長を知ることのできる貴重な資料です。

また、当時の政治や貴族の生活を知る上での超一級の史料として見逃せません。

自筆本、写本とも国宝に指定され、ユネスコの世界記憶遺産になりました。

その他の日記

藤原道長の時代の日記として名高いものに『 権記 』『 小右記 』があります。

これらの日記は、個人の私的なことについての記録以上に業務記録の役割もありました。

宮中におけるとても複雑な式典やしきたりについて後世の参考となるように残した記録でもあるのです。

『 権記 』

三蹟として知られた書家であり有能な能吏であった藤原行成(ふじわらのこうぜい)の日記。

宮廷生活の表と裏を克明に記した日記は、当時の執政の在り方や儀式などについて知ることのできる第一級の史料です。

その中に道長も登場。

儀式など重要なイベントでの采配の様子や活躍が記されています。

『 小右記 』

藤原道長のライバルであり、朝廷の良識人である藤原実資(ふじわらのさねすけ)による日記です。

政治、宮廷社会、儀式について書かれてあり、ライバルだけあって道長への批判なども見ることの出来る貴重な資料です。

男性による記録的意味合いの強い日記と違って、もっと人間的な心情を表現した女性による日記もあります。

『 和泉式部日記 』

歌人としても有名な和泉式部(いずみしきぶ)による日記。

和歌の贈答を組み込んだ特徴的な作品で、女流日記文学の代表です。

『枕草子』

正確には日記ではなく、随筆です。

作者は清少納言。

道長の娘彰子(しょうし)のライバルである中宮定子(ていし)に仕えた女房です。

女性ならではの繊細でズバリと物事の本質を突く生き生きした筆致が魅力的。

この時代に忘れてはならない作品です。

物語とは

平安前期に『 古今和歌集 』という勅撰和歌集(天皇・上皇の命令によって作られた和歌集)が出来ました。

それ以降『伊勢物語』に代表される和歌とその歌が作られた状況を語る「歌物語」というジャンルの作品が誕生。

そして和歌のように字数を制限されることのない散文が発展し、『竹取物語』のような伝奇的な話しと組み合わさって物語文学となります。

その中でも道長と関わりある傑作としては『 源氏物語 』『 栄花物語 』『 大鏡 』などが挙げられます。

『 源氏物語 』

物語文学の最高峰。

作者はもちろん紫式部。

光源氏という一人の貴公子を中心にしたフィクションではありますが、その当時の風俗や朝廷の様子などは現実世界がベースでした。

エンターテイメントであると同時に当時の貴族社会を知るのに貴重な史料でもあります。

光源氏のモデルとなったと言われる公卿は何人かいます。

嵯峨天皇皇子・源融(みなもとのとおる)や醍醐天皇皇子・源高明(みなもとのたかあきら)などと共に藤原道長もそのモデルだったのではないかと言われています。

道長は愛読者の一人でした。

『 栄花(栄華)物語 』

正確には歴史物語と呼ばれるジャンルのものです。

正編、続編とあり、正編は赤染衛門(あかぞめえもん)、続編は出羽弁(いでわのべん)と周防内侍(すおうないし)が作者ではないかと言われています。

仮名で書かれた最初の歴史物語で、『 源氏物語 』の影響も大いに受けた作品。

藤原道長の栄華を讃えることが中心の物語になっています。

『 大鏡 』

これも道長とその一門を題材にした歴史物語。

しかし、こちらは厳しく批判する内容となっています。

二人の老人が若い侍に思い出話を語って聞かせるという構成で、シンプルな訴求力のある作品です。

摂関政治に批判的な男性が書いたものと言われていますが作者は分かりません。

道長の功績

実は、藤原道長は平安時代の日本文学の発展に大きく寄与しました。

天皇との外戚関係あってこその藤原氏の摂関政治。

彼らの娘がいかに天皇に寵愛され、皇子を生めるかが勝負のポイントでした。

そのため、権力のある名家たちは後宮(こうきゅう)に入内(じゅだい)させた娘たちの周辺に才色に優れた女房を集めました。

後宮: 皇后や后などが住む宮中の奥にある場所
入内: 中宮・皇后・女御などが正式に内裏に入ること

そこに教養を競い合う華やかな社交界が花開いたのです。

中でも道長の娘として最初に天皇の后となった彰子の周囲には才媛たちが溢れ、賑わっていました。

「 源氏物語 」の紫式部、歌人として名高く「 和泉式部日記 」の作者でもある和泉式部、「 栄華物語 」の赤染衛門と出羽弁、歌人の伊勢大輔(いせのだいふ)などを従えた彰子の女房群が形作るのはその時代の最先端を行った文芸サロン。

道長の時代に活躍した沢山の女流作家の多くは、道長をパトロンとして思い思いの作品を生み出していったのです。

このように朝廷に仕える女性たちは政治を担う男性たちとは違うステージで切磋琢磨し競っていました。

そういった状況を作り出した道長は、結果として散文文学の発展に大きく寄与したのです。

おわりに

道長が活躍した平安時代は、いろいろな形の日本文学が生まれ、発展しました。

それらの発展に貢献した道長は彼自身も文学を愛し、克明な記録の日記を残して現代の私たちに人間らしい一面を見せてくれます。

長い年月を経て現代にまで残ったこれらの物語や日記はまぎれもなく平安の人々の息づかいを感じさせる遺産であり、宝ですね。

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku 明石 白(akashihaku)Facebook https://www.facebook.com/akashihaku