フェリペ2世とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

「太陽の沈まぬ帝国」としてスペイン帝国の黄金期を築いた

フェリペ2世

日本の安土桃山時代に国王として活躍したフェリペ2世は、九州からやってきた天正少年使節とも対面しています。

日本とも関わりがあったフェリペ2世とはどんな国王だったのでしょうか。

以下、ご紹介します。

 

フェリペ2世はどんな人?

プロフィール
フェリペ2世

出典:Wikipedia

  • 出身地:スペイン帝国、バリャドリッド
  • 生年月日:1527年
  • 死亡年月日:1598年(享年71歳)
  • 「太陽の沈まぬ帝国」スペイン帝国の黄金期に君臨した国王

 

フェリペ2世 年表

年表

西暦(年齢)

1527年(0歳)スペイン帝国のバリャドリッド(スペイン、カスティーリャ・イ・レオン州の州都)に生まれる。

1556年(28歳)スペイン国王に即位。

1557年(29歳)最初の破産宣告(国庫支払い停止宣言:バンカロータ)をする。

1559年(31歳)カトリックの禁書目録を公布。

1561年(33歳)バリャドリッドからマドリードに宮廷を遷す。

1563年(35歳)エル・エスコリアル修道院の建設開始。

1568年(40歳)ネーデルランドの反乱、アルプハラース山地でモリスコ(キリスト教に改宗したモーロ人)の反乱が勃発。

1571年(43歳)レパントの海戦でオスマン帝国軍に勝利。

1579年(51歳)ネーデルラント南部諸州を八十年戦争から離脱させる。

1580年(52歳)ポルトガルを併合。

1584年(56歳)天正遣欧少年使節を歓待。

1588年(60歳)アマルダの海戦。スペインの無敵艦隊がイングランド軍に敗北。

1590年(62歳)ミリョネス新税を導入。

1596年(68歳)バンカロータを行う。ペストが流行。

1598年(71歳)フェリペ2世、死去。

 

スペインの黄金期を築く

1556年、父カルロス1世のあとを継いで、フェリペ2世がスペイン国王に即位します。

ヨーロッパ内だけでも、スペイン、ネーデルラント、ナポリ、シチリアといった領土を受けつぎます。

オーストリアはカルロス1世の弟、フェルディナンド1世が受け継ぎ、ハプスブルク家は、スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分化しました。

フェリペ2世即位後にはポルトガルも領有します。

そしてヨーロッパ以外にも、新大陸のアメリカ中南米、フィリピン、マカオ、マラッカ、ゴア、アフリカ大陸沿岸を植民地としていました。

広大な領土・植民地を領有していたスペイン帝国は「太陽の沈まない国」と呼ばれ、フェリペ2世の治世下で黄金期を迎えました。

 

カトリックを信望する「書類王」

フェリペ2世は「異端者に君臨するくらいなら命を100度失った方がよい」と公言するほど、カトリックを信奉していました。

同じハプスブルグ家から分かれたオーストリア・ハプスブルク家の君主がプロテスタント勢力を認めて信仰を許したことに不満を表しました。

1559年にカトリックで禁書とされている書物の目録を公布し、指定された大学以外でスペイン人が学ぶことさえも、一時的に禁止しました。

フランスのカトリックとプロテスタントが40年に渡り争ったユグノー戦争(1562年~1598年)に介入し、カトリック同盟軍を支持しました。

このようなカトリック信奉=異端派不寛容政策に対し、ネーデルランドの反乱とモリスコの反乱が起こっています。

それでも、フェリペ2世はカトリックの盟主としての姿勢を変えず、カトリックによる国家統合を目指しました。

フェリペ2世の父、カルロス1世は、ヨーロッパ内の広大な領地を移動し「遍歴の国王」と呼ばれていました。

それに対し、フェリペ2世はほとんどスペインから離れませんでした。

1561年、マドリッドに宮廷を遷し、1563年から王宮・修道院・墓所を兼ねたエル・エスコリアルを建設します。

フェリペ2世はエル・エスコリアルにこもり、広大な領土から送られてくる書類の山をさばき、命令を発しました。

書類は月1000通、勤務時間は1日14時間に達することもあったそうです。

そんなフェリペ2世は「書類王」と呼ばれるようになりました。

 

借金と莫大な国庫支出に悩まされる

スペイン帝国は広大な領土を持ち繁栄していましたが、財政はかなり厳しく借金が多かったようです。

父・カルロス1世から借金も受けついだフェリペ2世は、即位直後に「バンカロータ(国庫支払い停止宣言)」という破産宣告をしています。

以降も、フェリペ2世は即位中に合計4回の「バンカロータ」を発しました。

理由は、

・先代カルロス1世から続くフランス、イタリアとの戦争

・即位後におきた地中海覇権をめぐるオスマン・トルコとの争い

・ネーデルランド反乱に対する鎮圧

・イングランドとの戦争

で莫大な出費がかさんだためでした。

 

めったに笑わないフェリペ2世

冷静で近寄りがたかったフェリペ2世は、めったに笑うことがなかったそうです。

1572年、ユグノー戦争中のフランスで、カトリック勢力によってプロテスタントたちの大量虐殺がありました。

サン・バルテルミの虐殺と呼ばれています。

このニュースを聞いたフェリペ2世は、生まれてはじめて笑ったと伝えられています。

1584年11月11日、フェリペ2世は日本からやってきた天正少年使節団と対面します。

九州から来た4人の少年たちと会ったフェリペ2世は、少年たちを歓待し優しく抱擁しました。

カトリックを信仰し、日本からはるばるやって来た少年たちに感動したのでしょうか。

周りの人が驚くほど、フェリペ2世は機嫌が良かったそうです。

めったに笑わないフェリペ2世が笑ったという二つのエピソードは、どちらもカトリックが関係していて、相当熱心なカトリック信者だったことが伺えます。

 

きょうのまとめ

フェリペ2世についてご紹介しました。内容を簡単にまとめると、次のようになります。

①フェリペ2世の治世下でスペイン帝国は「太陽の沈まない国」として黄金期を迎えた

② フェリペ2世は熱心なカトリック信者で、宮殿に籠って膨大な書類をさばき命令を出していたことから「書類王」と呼ばれた

③スペインは借金大国で、フェリペ2世は4回も「バンカロータ(国庫支払い停止宣言)」という破産宣告を発した

④フェリペ2世は冷静でめったに笑わない王だった

スペインの黄金期を築いたフェリペ2世。

冷静に書類をさばきながら国王としての職務を果たすフェリペ2世は、とても有能で仕事のできる王様だったのでしょう。

めったに笑わないフェリペ2世が日本から来た天正少年使節たちを歓待してくれていたというのは日本人にとってはうれしいことですね。

 

関連記事 >>>> 「スペイン王・フェリペ2世とイングランド女王・エリザベス1世の関係は?」

 










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