ベニート・ムッソリーニのファシズムとその歴史

 

20世紀前半、独自のファシズム理論をかかげ、

国家ファシスト党によってイタリアで一党独裁制を確立した

ベニート・ムッソリーニ

今回は、そのファシズムとファシスト党について解説していきます。

 

ファシズムとは

ムッソリーニ

出典:Wikipedia

ファシズムの定義

「ファシズム」とは、限定的な意味ではベニート・ムッソリーニが率いた

「国家ファシスト党」の提唱する政治的理念、そしてファシスト党が権力を握っていた

1922年~1943年までの政治体制の総称を示します。

もっと大きな意味で捉えると、第一次世界大戦後に主にヨーロッパで広まった支配体制。

権威主義的、一党独裁、市民的・政治的な自由を極度に抑圧し、対外的には侵略政策をとります。

そして合理的な思想体系ではなく、感情に訴えかけるという特徴を持ちます。

日本でも第二次世界大戦の際にはファシズム的な支配体制がとられていました。

ちなみに、ファシズムの語源はラテン語で団結を意味する言葉です。

正確に定まっていない見方

ファシズムは一般的には先ほどご紹介したような一党独裁的で、

国や人に関する様々な意思決定に対して少人数や限られた組織で、

独占的に行なわれる状態のことだと認識されています。

しかし専門家の間ではその見方は分かれていて、ドイツの全体主義や

中国の共産主義などといった似ている思想や体制を含める場合もあります。

そして民主主義の立場から考えると、ファシズムを反自由主義・反民主主義で

全体主義の一部として捉えています。

共産主義者からすると、権力で労働者階級を抑え支配する帝国主義だという理由で

批判の対象になります。

そうした一方で、ファシズム自体を共産主義の一種だと考える人々もいるのです。

 

イタリアのファシスト党

ファシズムの起源

ベニート・ムッソリーニが率いるファシスト党の誕生の背景には、

第一次世界大戦後の不況が深刻化するなか、1919年~1920年にかけて

社会党に指導された労働者たちが起こしたストライキが深く関わっています。

それに反発する組織として「襲撃隊」という反社会主義武装集団が作られ、

現地の警察や軍に後押しされながら襲撃をくりかえし、

それがやがてイタリア全土に広がりファシズム運動と呼ばれるようになりました。

ファシスト党の結成

1919年にはミラノで「戦闘ファッショ」という組織を作っていたムッソリーニは、

この「襲撃隊」を自身の配下におさめようとしていました。

そして1921年に各地のファシスト指導者にその政治的手腕を認められると、

最高指導者として「ファシスト党」を結成。ファシズム運動を政党化しました。

1922年にナポリでファシスト大会が開催され、強力な政府の樹立を求めるために

4万人のファシストがローマ進軍を起こすと、彼らを統制できるのはムッソリーニだけと

判断した国王がローマでの流血沙汰を恐れ彼を首相に任命。内閣を組織することを命じました。

このようにして、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権が成立しました。

ファシストの暴力性

ファシストの起源である「襲撃隊」の特徴として、「愛国的襲撃」が挙げられます。

隊員たちの多くが帰還兵の若者で、社会党に反対する小ブルジョワ(主に自作農たち)でした。

彼らは、第一次世界大戦後に社会主義者の台頭によって収入が急激に落ち込んだ

小ブルジョワジーたちのために、自由主義政府ができなかったことを

代わりにやっているだけだと考えていました。

社会党本部を焼き討ちにしたり、社会党主義者たちを襲撃し、

殺してしまうこともすべて国を救うための愛国的な行動だと信じて疑いませんでした。

ムッソリーニによる独裁

ベニート・ムッソリーニは国王によって首相に任命されると、

内閣を自身の支持者で固めていき、権力をさらに強化しました。

そして法律の改正などを行い自分たちに有利な状況を作り出したのです。

1925年には議会演説でムッソリーニは自らをイタリアの独裁者と名乗り、

イタリアの独裁体制を宣言します。

その後ファシズムはローマ教皇の支持を取りつけるようになると、

地方への影響力を徐々に強めていったのです。

 

ファシズムの失脚

第二次世界大戦での敗北に伴って、イタリア、ドイツ、日本で行われていた

ファシズム的支配体制は終わりを迎えます。

その後冷戦期などに再び台頭しかけましたが、指導者の失脚などにより

時代は民主主義体制に移行していきます。

現在でも排外主義者などはいますが、あくまでも極右政党として認識される程度で、

20世紀に起こったドイツのナチズム、そしてイタリアのファシズムに匹敵するほどの

支配体制をかかげる強大な政治勢力は存在しないと言えます。

 

きょうのまとめ

今回は、20世紀にイタリアを中心に始まったファシズムについて、

その実態やベニート・ムッソリーニとの関係を絡めてご紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

ファシズムとは、簡単にまとめると

① ベニート・ムッソリーニが唱えた独自の理論であり、1922年~1943年までの政治体制である

② 第一次大戦後のイタリアで、社会主義者のストライキに反発する襲撃隊が起こした襲撃や思想が発端になった

③ ファシズム指導者や国王に認められたムッソリーニがファシスト党を結成すると一党独裁制を行ったが、第二次大戦の敗北後から現在は事実上消滅している

第二次世界大戦で、日独伊の枢機国が敗北したことにより

力を失くしたファシズム。

けれどもしも勝者が逆になっていたならば、

その後の世界は現在とは全く異なった道を辿っていたのでしょう。
 










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