近松門左衛門とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

大坂の陣が終わってもう100年近く、

太平の世長らく、

興ってきた町民たちの躍動!

大坂は人情の都や!

いてまえ!
われらが
「東洋のシェークスピア」
近松門左衛門

 

近松門左衛門はどんな人?

  • 出身地:越前(今の福井県東北部)
  • 生年月日:1653年
  • 死亡年月日:1725年1月6日(享年71才ごろ)
  • 江戸前期の浄瑠璃脚本作家

近松門左衛門の年表

1653年(0才)近松門左衛門生まれる

1664年頃(11才ごろ)近松の父、杉森信義が吉江藩(今の福井県鯖江市吉江町あたり)を致仕(ちし。お勤めを辞めること)し、京都に移り住む

1685年(32才)近松作『出世景清(しゅっせかげきよ)』が竹本座で初演される

1692年(39才)近松、商家の娘と結婚する

1703年(50才)近松作『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』が初演

1715年(62才)近松作『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』が初演、大当たりとなる

1716年(63才)近松、尼崎の広済寺の講中(こうじゅう)に加わり、再興に力を貸す

1725年(71才)近松門左衛門亡くなる

 

芸で食ってくもんの必須!?近松門左衛門の下積み時代

近松は越前藩士の次男坊。

幼名は次郎吉(近「ほんまそのまんまやろ(微笑)」)

近松が10才を越えたぐらいのころに、
お父さんがなぜか長らく仕えた吉江藩を致仕してしまい、
京都へと移り住みます。

近松はいつの間にやら”お公家さん”に仕え、

そこできたえてもらったのでしょう。

当時「天下の台所」といわれ、

日本の商都として活況を取り戻しつつあった”大坂”へ、

やっぱりいつのまにやらもぐりこみ、

次第に頭角を現してゆきます。

 

近世浄瑠璃の隆盛はわしらぬきには語れんで!竹本義太夫と近松門左衛門タッグ成る!

近松30才ごろに『世継曾我(よつぎそが)』という演目を書き上げ、上演されます。

ちょうどこのころ、竹本義太夫が大坂道頓堀に浄瑠璃一座”竹本座”を興します。

以後、
近松はこの竹本座に新作の脚本を続々書き上げ、

上演されるようになっていきます。

 

見さらせ!これがわが出世作『出世景清』の名ゼリフじゃ!!

満32才ごろ上演された『出世景清』はまさに近松の出世作!

そのストーリーとは、
平家の落人悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)が怨敵源頼朝を討ち果たそうと付けねらうのですが、

結局うまくいかず、

自分の両目を刀でえぐりだしてしまいます。

その時の名セリフ(現代語訳のもの)。
「おお、なんというあさましさ、過分の恩賞を受けながら、悲しいのは……消しても消しても……消えない昔の恨み……お姿を見れば主君の敵と思い出し……さっきのご恩を忘れて……無礼なことを……お許しください……まことにままならないのが人の心……今後も頼朝様を見るたび、恨みの気持おさまらず、かえって仇となってしまう……それもこの目があるため……なら、二度と見えないように……」

なぜ、近松が天才とされるかは、これを見るだけでなにか伝わってきますね。

近(ふん。やっとわかりおったか……)

 

あらあらちかまっつぁん、その他愛のう移ろい気なとこもあんたの魅力!

近松が大坂商家松屋の娘と結婚したのはなんと満39才です。

しかも江戸時代ですから、

ずいぶん晩婚なイメージですが、

再婚という説があります。

そして、それから間もなくして

京都の歌舞伎の狂言作者となって

万大夫座に出勤し、

あの坂田藤十郎出演の脚本などを手掛けるようになっております。

あらあら。

結局10年ほどして浄瑠璃の世界に戻ってくるのですが。

ちかまっつぁん、
この奥さんとの間に一男一女をもうけ、

息子さんの方は後に絵師になったようです。

尼崎の広済寺と、大阪谷町の法妙寺跡にある近松の墓石にはともに、

ご自分と奥さんの戒名が二つ仲良く並んで刻まれております。

あれあれ、

生前はえろはかない男女の心中もんなんかを描かはったのに、

お亡くなりになってからはごちそうさんなことです。

浄瑠璃に復帰後すぐに
近松は代表作

「曽根崎心中」

その後には大当たりの

「国性爺合戦」

などを意欲的に続々と書き上げました。

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きょうのまとめ

いかがだったでしょうか。

今、
“文楽(大坂で成立した浄瑠璃の系譜。竹本・近松らの芸もこれに属しています)”

はユネスコの「世界無形文化遺産」に認定され、

海外からも脚光を浴びつつあります。

① 近松門左衛門とこは、お父さんも、まだこれからやいうお子さん何人もかかえとんのに、藩士をいきなり辞めるみたいな、ちょっと不思議な情のある家系?

② 近松門左衛門は結婚して、現金丸出しかはしらんけど(ま、せやろ)浄瑠璃辞めて歌舞伎狂言の脚本を書き、10年ほどして結局浄瑠璃に舞い戻った

③ 近松門左衛門は『出世景清』『曽根崎心中』『国性爺合戦』など続々と人情もんの名作を書き上げ、竹本の義太夫はんらといっしょに浄瑠璃を一大芸能へと盛り上げた

大阪で”文楽”見るなら「国立文楽劇場」

近「世界に誇る日本の伝統芸能を見ておくんなまし」

 










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