千葉常胤とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

源頼朝を側近として支え、鎌倉幕府創設に大きく貢献した御家人

千葉常胤ちばつねたね

頼朝との深い信頼関係を示す逸話が多数あることでも知られる人物です。

頼朝に仕える以前は、それほど立場の強くない豪族だったようですが…?

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、岡本信人さんに配役が決定。

千葉常胤とは、いったいどんな人だったのか、放送に先駆けてチェックしておきましょう!

 

 

千葉常胤はどんな人?

プロフィール
千葉常胤ちばつねたね

『前賢故実』より千葉常胤(菊池容斎筆)
時代
出典:Wikipedia

  • 出身地:上総国大椎かずさのくにおおじ(現・千葉県千葉市緑区大椎町)
  • 生年月日:1118年6月14日
  • 死亡年月日:1201年4月28日(享年84歳)
  • 源頼朝の平氏討伐に従い、鎌倉幕府創設に貢献した御家人の筆頭格。下総国守護を務めたほか全国に所領を賜り、一族の中興を担った。

 

千葉常胤 年表

年表

西暦(年齢)

1118年(1歳)下総権介しもうさごんのすけ・千葉常重の長男として生まれる。

1135年(18歳)家督を相続。下総相馬御厨みくりやを引き継ぐ。

1136年(19歳)父常重が租税未納の嫌疑で逮捕され、所領の相馬御厨が下総守・藤原親通に押領される。

1146年(29歳)未納とされていた租税を納め、相馬御厨を取り返す。相馬郡司にも復帰。

1156年(39歳)源義朝の兵として「保元の乱」に従軍。

1161年(44歳)常陸国の佐竹義宗が相馬御厨の支配権を主張。以後対立することとなる。

1180年(63歳)源頼朝が平氏討伐を掲げると、これに呼応して挙兵。下総目代、下総守を下したのち、頼朝と合流した。

1183年(66歳)御家人・上総広常かずさひろつねが謀反の疑いで誅殺され、上総から房総平氏惣領の座を引き継ぐ。

1184~85年(67~68歳)範頼のりよりに従い、源平合戦を戦う。

1187年(70歳)洛中警護のために上洛。

1189年(72歳)奥州合戦に従軍。東海道方面の大将を務める。

1190年(73歳)源頼朝の上洛に随行。

1193年(76歳)香取神宮の造営雑掌ざっしょう(事務)を務める。

1201年(84歳)死没。

 

千葉常胤の生涯

以下より、千葉常胤の生涯にまつわるエピソードを紹介します。

千葉氏の二代目として誕生

1118年、千葉常胤は下総権介しもうさごんのすけ・千葉常重の長男として生まれます。

千葉氏は、桓武天皇の子孫にあたる、平忠常を祖とする房総平氏の系統。

父常重は下総国相馬郡、千葉郡の郡司を務め、経営のために千葉へと拠点を移した折、千葉氏を名乗るようになりました。

常胤はその二代目として領地を切り盛りしていくこととなるのです。

なお、房総平氏はこのとき千葉氏、上総氏に分裂しており、惣領の座は上総氏が有しています。

領地の押領に悩まされる

18歳のころに父常重から家督を譲り受け、郡司の立場となった常胤。

その翌1136年のこと、いきなり大きなトラブルに見舞われます。

父常重は兼ねてから、相馬郡の所領を伊勢神宮に寄進しており、その安堵のもとで郡司を務めていました。

所領を寺社の持ち物としてもらい、国からの租税を逃れるという、この時代の豪族によく見られた動きですね。

ところがこの年、下総守・藤原親通によって租税を納めていないことを咎められ、常重が逮捕されてしまうのです。

所領はそのまま親通に差し押さえられ、常胤も相馬郡司の座を退くことに。

このあと、源氏の棟梁・源義朝がこの小競り合いに介入し、義朝の名義で伊勢神宮への寄進を行う形で、両者を仲裁したという話です。

以降、常胤は義朝に従うようになり、1156年の「保元の乱」にも従軍。

義朝の配下として、所領の権限を強めようとしたわけですね。

しかし、1160年に勃発した「平治の乱」で義朝が戦死。

すると、常陸国の佐竹義宗がここぞとばかりに相馬郡の支配権を主張し、常胤はまたしても所領を手放すはめになってしまいます。

政権はすっかり平氏の手中となっていたため、その配下である佐竹氏は交渉を有利に進められたのかもしれません。

源頼朝に従い挙兵

1180年になると、平氏と後白河法皇の対立を受け、源頼朝が挙兵

所領の問題で平氏に敵対心を抱くようになっていた常胤も、これに従います。

常胤が頼朝の陣に加わったのは、頼朝が「石橋山の戦い」で破れ、房総半島で体勢を立て直そうとしていた折のこと。

頼朝は勢力拡大のため在地の豪族を頼り、常胤にも使者が向かわされたのです。

このとき、使者から頼朝の挙兵を伝え聞いた常胤が、その決断に感涙したという逸話が残されています。

頼朝の父義朝の一件で、源氏に恩義を感じていたためでしょうか?

実はそう考えると、この逸話には疑問が残る部分もあるんですよね。

義朝が常胤の所領問題に割って入ったのは、素直に捉えれば、所領問題で揉めた常胤と下総守を仲裁するためととれます。

しかし義朝自身、関東での勢力を広げるため、所領問題に首を突っ込んだ可能性もあるというのです。

結果として常胤は義朝の配下に下ったものの、その動向をよく思っていなかったとも…?

頼朝の挙兵に感涙したというのは、ひょっとすると、美談として脚色されたものだったのかもしれません。

ともあれ、常胤はここから下総国の平家方をことごとく下したのち、頼朝のもとへ参陣。

武蔵国へ赴く際は、同地の豪族と親交があった常胤の手引きで、平家方の警戒網を逃れられたといいます。

また、「富士川の戦い」で、頼朝討伐にやってきた平家方を退けたのちには、常陸国・佐竹氏を攻め落とすことを、上総広常かずさひろつねとともに進言。

佐竹氏に奪われていた所領を取り戻すことにも成功しました。

御家人の筆頭格となる


頼朝の配下となった常胤は多くの戦で武功を挙げ、瞬く間に御家人の筆頭格となっていきました。

源平合戦で源範頼のりよりに従って戦ったほか、1189年の奥州合戦では東海道方面の大将も務めています。

70歳の老齢でこれだけの戦に赴いていたことに、まず驚かされますよね。

このような功績から、その地位は下総国守護を任されるほどに。

同じ房総平氏の上総広常が謀反の疑いで暗殺されたこともあり、支配圏は房総半島一帯に及んでいました。

このほかにも常胤は

・薩摩(鹿児島県)

・肥前(佐賀、長崎)

・美濃(岐阜県)

陸奥むつ(青森~福島)

など、各地に所領を与えられます。

その所領は子孫に引き継がれ、多数の分家を生む形で一族の隆盛へつながっていきます。

役人から所領を差し押さえられ、弱い立場に立たされていたころからは想像もできないような出世ぶりですね。

源頼朝との信頼関係


常胤は戦で奮闘しただけでなく、鎌倉での諸事を巡っても特に熱心に奉仕していました。

まず、1181年、頼朝が鎌倉入りして初めて新年を迎えた折のこと、元旦の椀飯おうばんを常胤が担い、以後、毎年元旦には、常胤がこの役を引き受けることが定着したといいます。

(※椀飯…主君に料理を振舞う接待役のこと)

このほか、頼朝の長男頼家、次男実朝が誕生した際は、いずれも祝いの儀を主催。

このような役目を進んで買って出る実直な人となりに、頼朝もかなりの信頼を寄せていたという話です。

もちろん、常胤は単にヨイショするだけの配下ではなく、こんな逸話も残されています。

1192年、頼朝は将軍家が発行する公文書を、将軍の花押を直々に押したものから、政所職員の連署によって認可されたものへと改めました。

(※政所…幕府の政務を執り行う部署)

頼朝としては、自身を通さずとも政所にある程度の判断を任せることで、効率よく組織を運営していく狙いがあったのでしょう。

しかし、これに不服を唱えたのが常胤でした。

政所から、様式が変わった文書を受け取った常胤はこれを見るとすぐ、将軍直伴のものに作り直すよう、頼朝に訴えたのです。

鎌倉幕府は将軍と御家人の主従関係から成り立っており、効率化のためだからといって距離を遠ざけてしまうと、その前提が崩れてしまう。

常胤はそんな危機感から、やはり公文書は将軍が直々に下すべきだと断じたのです。

頼朝とは親子ほども歳の離れた常胤のこと、配下とはいえ、ときには諫める役割を担うこともあったのですね。

 

きょうのまとめ

役人に虐げられる立場の弱い豪族から、幕府御家人の筆頭格にまで成り上がった千葉常胤。

その生涯が表していたのは、逆境をバネに飛躍していく下剋上の姿でした。

最後に今回のまとめです。

① 千葉常胤は、相馬郡・千葉郡の郡司を父から引き継ぐも、役人に所領を押領されてしまう。頼朝の挙兵に従ったのは、この経緯で平氏へ恨みを募らせていたから?

② 御家人となった常胤は、源平合戦、奥州合戦などで活躍。その武功から下総国守護を任されたほか、全国に膨大な所領を賜った。

③ 毎年元旦の椀飯役、頼朝の子息誕生の祝いの儀を主催するなど、実直な人柄から信頼を得ていた。ときとして、頼朝の振る舞いを諫めることも。

大河ドラマでは、頼朝との信頼関係がどのように描かれるのか、人間模様の演出に期待がかかります!

【参考文献】
国史大辞典
世界大百科事典
Wikipedia/千葉常胤
Wikipedia/千葉常重

 
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