三者三様。木曽義仲と源頼朝・源義経たちの生き方
木曽義仲きそよしなかは源氏である頼朝を敵にし、そして義経軍と戦って敗れました。 源氏の従兄弟同士の激しい対立には、彼らの育った環境にも伏線があったようです。 全国で土着した源氏 源氏は中央政界…
木曽義仲きそよしなかは源氏である頼朝を敵にし、そして義経軍と戦って敗れました。 源氏の従兄弟同士の激しい対立には、彼らの育った環境にも伏線があったようです。 全国で土着した源氏 源氏は中央政界…
木曽義仲きそよしなかの最期は、旧暦の1184年1月20日です。 彼は今、滋賀県の粟津にある義仲寺の墓に眠っています。 そこは義仲を慕う人の気持ちが一つになった墓所となっています。 義仲の最後の敵は平氏ではあ…
1180年の以仁王の令旨に呼応して各地で源氏が動き出し、 最初に京に入って平氏を追い出したのは木曽義仲きそよしなか(源義仲)軍。 義仲の軍は、数ある源氏の中でも特に武将と家臣が「情」という強力な絆で結ばれた…
木曽義仲きそよしなかには、妻や側室が数人います。 ここでは義仲と関わった女性の中でも特に知られた3人についてご紹介します。 藤原伊子(ふじわらのいし 1167年-1207年) 伊…
木曽義仲きそよしなかこと源義仲は、同じ源氏の源頼朝や源義経と比べるとそれほど知られていないかも知れません。 最後には琵琶湖のほとりで討ち死にした彼ですが、義仲こそが紛れもなくあの栄華を誇った平家を京から追放…
木曽義仲きそよしなかは1183年に入京し、平氏を追放しますが、木曽の山育ちの彼は京の公家たちにはひどく不人気でした。 何か義仲の性格に問題でもあったのでしょうか? 木曽山育ちの義…
木曽義仲きそよしなかの対平家の戦さの中で、 一番知られたものがこの倶利伽羅峠くりからとうげの戦いでしょう。 1183年に越中(富山)・加賀(石川)国の国境にある砺波山となみやまの倶利伽羅峠で繰り広げられた木…
木曽義仲が琵琶湖のほとりで討ち死にした後、義仲の近親者たちにも命の危険が及ぶようになります。 記録は明確ではありませんが、義仲には4人の息子と1人の娘がいたとされています。 彼ら、そしてその子孫たちはどんな…