アンリ・ベルクソンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

19世紀~20世紀にかけてフランスで活躍した哲学者、

アンリ=ルイ・ベルクソン

従来の経験論の限界を示唆した上で独自の経験論を用いて当時の哲学界に革新をもたらし、後の様々な分野に影響を与えました。

アンリ・ベルクソンとは一体どのような人物だったのでしょうか。

今回はその生涯について、主な功績と共に見ていきましょう。

 

アンリ・ベルクソンはどんな人?

プロフィール
アンリ・ベルグソン

アンリ・ベルグソン
出典:Wikipedia

  • 出身地:フランス・パリ
  • 生年月日:1859年10月18日
  • 死亡年月日:1941年1月4日(享年 81歳)
  • フランスの哲学者。「生の哲学者」を代表するひとり。

 

アンリ・ベルクソン 年表

年表

西暦(年齢)

1859年(0歳)フランスのパリで誕生。幼い頃の数年間を一家とイギリスのロンドンで暮らす。

1868年(9歳)フランスのノルマンディー地方に移住。

1878年(19歳)パリの高等師範学校に入学。

1881年(22歳)教授資格国家試験を受験し合格。高校教師となりその傍らで学位論文の執筆。

1888年(29歳)ソルボンヌ大学に学位論文を提出。翌年に文学博士号を取得。

1889年(30歳)著作『時間と自由』を発表。

1896年(37歳)著作『物質と記憶』を発表。

1900年(41歳)コレージュ・ド・フランスの教授に就任。著作『笑い』を発表。

1904年(45歳)近代哲学の教授となる。

1907年(48歳)著作『創造的進化』を発表。

1917年(58歳)第一次世界大戦に際し、アメリカ説得のための使節としてフランス政府より依頼を受ける。

1919年(60歳)論文『精神のエネルギー』を発表。

1922年(63歳)国際知的協力委員会の委員に就任。論考『持続と同時性』を発表。

1927年(68歳)ノーベル文学賞を受賞。

1930年(71歳)フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与される

1932年(73歳)最後の著作『道徳と宗教の二源泉』を発表。

1941年(81歳)風邪が悪化し、パリの自宅で死去。

 

アンリ・ベルクソンの生涯

ここからは早速、アンリ・ベルクソンの生涯を功績と共にご紹介していきます。

生の哲学者

まず初めにアンリ・ベルクソンの功績を一言で述べるならば、彼が哲学界に新たな認識論をもたらしたと言えるでしょう。

彼のその哲学思想は、20世紀から台頭する「実存主義」の先駆けとして認識されています。

アンリ・ベルクソンは学生時代には既に、当時もてはやされていた合理主義や科学的思考に批判的な姿勢を示していました。

そして生に対する非合理性やその根源的な姿を思索していきます。

これは「生の哲学」と呼ばれ、彼はニーチェやショーペンハウアーらと並び、その代表的哲学者の一人となったのです。

そのテーマ

生の哲学者として、アンリ・ベルクソンが生涯にわたり思索のテーマとしたのが、

・持続(時間の概念)

・生への飛躍

・生への躍動

等と呼ばれるものたちでした。

彼は、19世紀のフランスで既に確立していた科学的な実証性に基づく唯物論に対し、形而上学を実証的な方法で展開する唯心論の立場に立ちます。

そして一見すると科学とは真逆である

・心霊研究

・神秘主義的研究

等にも積極的に取り組み、心霊現象や超常現象について研究するイギリス心霊現象研究協会会長まで務めています。

生の根源やその真理について思索し研究した彼の視野は広く、遺した著作の中にも心霊研究や夢に関するものがあるのです。

四大主著

ここで、アンリ・ベルクソンが遺したものの中でも代表的な著作である、四大主著についてそれぞれ簡単にご紹介していきます。

時間と自由
これは彼が博士号を取得するための学位論文として書いたものです。

ベルクソンはこの著作において、本来分割できないはずのものを区切る従来の「時間」という概念を批判しています。

そして時間というものが、広がりを持つ分割不可能な意識の流れ=「持続」であると説明します。

彼の第一作目であるこの著書は、「時間」という概念を捉え直したものとして、哲学界だけでなく文学界にも高く評価され影響を与えることになりました。

物質と記憶
次に書かれた本書では、人間の心身の問題について言及しています。

アンリ・ベルクソンは、物質と表象の中間として「イマージュ」という概念を用い、体(物質)と心(記憶)の関係性について論じています。

彼は双方について、両極にあるものとしながらも持続を通して相互に関わり合い、実存するということを述べました。

記憶に着目した本書は、その後の脳科学の分野にも影響を与えることになります。

創造的進化
本書では前作をさらに生命論の方向まで掘り下げ、自身の提唱した「持続」の考えを生命全体そして宇宙全体にまで広げていきます。

ベルクソンは本書で「生への飛躍」を提唱しています。

そしてダーウィンの自然淘汰的な考えに対し、生命の進化を進める突然変異的な不可思議さがあることを主張しました。

道徳と宗教の二源泉
四大主著の中では、彼の生前最後の著作となった本作。

ここでは彼のこれまでの思想や立場を踏まえたうえで、人間社会が構成される際の根本的な問題となる、道徳と宗教について独自の見解を示しています。

ベルクソンは道徳と宗教の起源には、人間の創造力(想像力)=「創話機能」が関係しており、それが社会発展に欠かせない機能となっていることを説きました。

 

アンリ・ベルクソンにまつわるエピソード

ここでは、アンリ・ベルクソンの人物像にもう少し迫るために、彼に関するエピソードをご紹介します。

エリート

ユダヤ系ポーランド人で音楽家の父親と、イギリス人の母親の元、6人の兄弟姉妹に囲まれて育ったアンリ・ベルクソン。

彼の学問的才能は、少年時代から多岐にわたっており、まさに優等生でした。

特に古典語や数学で優れた成績を修めていた彼でしたが、最終的に選んだ道が哲学だったのです。

19歳の時に大学教員を目指す高等師範学校に入学するとその知性を深めていきました。

独創的かつ明快

自身の思想研究や執筆を続けるなか、大学などで講義を行っていたアンリ・ベルクソン。

彼の行う講義は学生に限らず誰でも聴講できるものでした。

40代の頃には既に哲学者としての確固たる存在となっていたベルクソン。

講義は難解な内容であるにも関わらず分かりやすいと評判で、外部からの多くの聴衆によっていつも盛況でした。

その人気ぶりは相当なもので、ときに本人すら疲弊してしまう程。

そんな彼が書く文章もまた独創的で明快、それに加えて美しく、68歳の時にはノーベル文学賞を受賞するほどの文学的価値を持ち合わせていたのです。

日本でも、思想家だけでなく夏目漱石ら文豪にも愛読されていました。

 

きょうのまとめ

今回はフランスの哲学者にして「生の哲学」の代表的人物、アンリ・ベルクソンの生涯について、その功績やエピソードと共にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

新たな発見はありましたか。

最後に、アンリ・ベルクソンとはどのような人物だったのか簡単にまとめると

① 19世紀~20世紀にかけてフランスで活躍した哲学者。

② 「生の哲学者」として後の実存主義の先駆けとなった。

③ 独創的で美しい文章で綴られる著作により、ノーベル文学賞も受賞している。

その文章自体の明快さと美しさから、散文としても高く評価されているアンリ・ベルクソンの著作。

彼の思想に興味を持たれた方は是非一度、お手に取ってみてはいかがでしょうか。

入門としては、エッセイなどがまとめられたものがおすすめです。

 
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