ベートーヴェンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

髪が長く、にらみつけるような印象を受ける

ベートーヴェン

肖像画は、音楽家室で誰もが見たことあるのではないでしょうか?

さて、ベートーヴェンについて見ていきます。

 

ベートーヴェンはどんな人?

プロフィール

  • 出身地:神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボン
  • 生年月日:1770年12月16日頃
  • 死亡年月日:1827年3月26日(享年56歳)
  • 古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆者。音楽の大作家

ベートーヴェン 年表

年表

西暦(年齢)

1776年(6歳)宮廷歌手だった父にピアノの手ほどきを受ける

1778年(8歳)ケルンで初めての演奏会を開く

1781年(11歳)母とオランダ演奏旅行、ネーフェにピアノと作曲を習う

1784年(14歳)宮廷のオルガン奏者になる

1787年(17歳)ウィーンでモーツァルトと会う。母が亡くなる

1801年(31歳)ピアノソナタ「月光」をジュリエッタに捧げる

1804年(34歳)「交響曲第三番 英雄」を作曲する

1808年(38歳)「交響曲第五番 運命」と「第六番 田園」を発表する

1814年(44歳)歌劇「フィデリオ」を上演し、大成功する

1827年(56歳)病死。

 

ベートーヴェンにまつわるエピソードや伝説

かんしゃく持ちだったとも言われるベートーヴェンでしたが、

彼はどのようにして名曲を生み出してきたのでしょうか?

「モーツァルトのように」

ベートーヴェンの父親は、宮廷歌手でしたがひどい飲んだくれでした。

アルコール依存症の父に「ピアノ弾け!」と寝ている中でも無理矢理起こされて、

ピアノの練習をさせられることもあったようです。

その間、父親は常に「モーツァルトのように」が口癖だったようです。

モーツアルトが、6歳で天才ピアニストと言われていたので、

ベートーヴェンも演奏会で年齢を幼く偽わらせ、常にモーツァルトを意識していたようです。

父は世間の評判を得るために必死でした。

しかしすばらしい恩師ネーフェと出会い、ベートーヴェンは彼から作曲のすばらしさを教えてもらうのです。

モーツァルトとの出会い

ベートーヴェンはモーツァルトに弟子入りを希望しますが、

母親マリアの死亡と重なり、故郷へ帰ることになりベートーヴェンが弟子入りすることはありませんでした。

ですがモーツアルトとの出会いにより、

ベートーヴェンは音楽家として歩む決心をしたとも言われています。

恋した相手に「月光」を捧げるも・・・

伯爵邸での演奏で出会ったジュリエッタとベートーヴェンは恋に落ちます。

美しい光の中で愛を語った曲、「月光」が出来上がります。

しかし、ベートーヴェンの耳は次第に聞こえなくなり、ジュリエッタは決められた人と結婚し破局を迎えます。

ナポレオンに捧げる曲

フランス革命以来、

民衆のための新しい世の中を作り出そうとしていたナポレオンにベートーヴェンは交響曲を捧げようとしました。

第三の交響曲の題名は「ボナパルト」。

しかし、ナポレオンが皇帝になったと聞くやいなや、

ベートーヴェン
結局権力が欲しかっただけなのか!

と怒り楽譜を破り、後に曲名も「英雄」と変更され、

~一人の偉大な人間の思い出を記念して~

との添え書きがされました。

未亡人との失恋をきっかけに作り始めた曲とは?

かつて伯爵邸で演奏した時に出会ったジュリエッタとは別の女性、

ヨゼフィーネと再会したベートーヴェンでしたが、

ヨゼフィーネは4人の子供を抱えた未亡人になっていました。

彼女に恋したベートーヴェンは、「熱情」という曲をつくりました。

恋の力でいくつもの名曲を書き上げ、彼女にプロポーズしましたが・・・。

失恋しました。

耳も聞こえないし、失恋もする、そのようなうまくいかない人生を曲にしました。

それがあの有名な「運命」でした。

おいの親権を争って裁判に

弟が亡くなる際に「息子を頼む」といわれたベートーヴェン。

その言葉を忠実に受け止め、母親から甥のカールの親権を争い勝ちましたが・・・。

甥を自分がされてきたように、音楽の英才教育をはじめましたがうまくいかず、

これが「交響曲第9番」を作る材料にもなったのです。

カールは後に、自殺をはかっています。

 

きょうのまとめ

ベートーベンについていかがだったでしょうか?

様々な自らの人生と絡み合わせて曲をつくっていたのですね。

まるで自らの人生をネタにしていたかのような、印象を受けますが、そのお陰で様々な名曲を生み出したには違いありません。

ベートーヴェンとは?

① 飲んだくれの父に「モーツァルトのように」と言われ続ける

② モーツアルトとの出会いがきっかけで音楽家としての決心を強固に

③ 恋した相手に「月光」を捧げた

④ 皇帝になったナポレオンに激昂し、楽譜をやぶり「ボナパルト」から「英雄」に曲名変更

⑤ 「運命」は、未亡人との失恋など、うまくいかない人生をきっかけに作り始めた曲

⑥ 「交響曲第9番」は甥への英才教育が題材。

でした。

人生うまく行かないからこそ、それを糧に名曲を生み出したともいえます。
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