紀元前3世紀、古代ギリシャにて多数の科学的証明、発明を行った
天才科学者・アルキメデス。
現代でも馴染み深いものを挙げると円周率やてこの原理も、彼が証明したものです。
証明した理論にはあまりにも有名なものが名を連ねていますし、何よりすごいのは、今から2000年以上も前の話だということ。
当時の技術力を考えると、今のような設備の整った環境がない中、アルキメデスはそれらの研究を行っていたことになります。
まさに世紀の天才科学者と呼ぶに相応しい功績を残す彼は、一体どんな人物だったのでしょうか。
その生涯から、アルキメデスの人物像に迫っていきましょう。
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アルキメデスはどんな人?
- 出身地:イタリア・シチリア島・シラクサ
- 生年月日:紀元前287年頃
- 死亡年月日:紀元前212年(享年75歳)
- 古代ギリシャの天才科学者。円周率・てこの原理など数多くの理論を証明した。
アルキメデス 年表
西暦(年齢)
前287年頃(1歳)イタリア・シチリア島のシラクサにて天文学者・ペイディアスの息子として生まれる。幼少より数学・天文学・力学など数々の学問を父から学ぶ。
?年(?歳)エジプト・アレクサンドリアに留学し、学問を修める。
?年(?歳)シラクサに帰国し、シラクサの王から援助を受けながらさまざまな研究に勤しむ。
前219年~(68歳)第二次ポエニ戦争にて、シラクサがローマ軍に包囲される。アルキメデスも投石機や熱光線などの武器を考案してローマ軍に対抗した。
前212年頃(75歳)シラクサが陥落。浜辺で幾何学の図形を描いていたところをローマ兵に刺殺され、生涯を終える。
アルキメデスが証明した現代にも伝わる理論
アルキメデスは幼少より天文学者の父によって、さまざまな学問の知識を深めていきました。
そして若くして当時学問の中心地だったアレクサンドリアへ留学し、さらにその知識に磨きをかけていきます。
留学を終え故郷のシラクサに戻ると、アルキメデスはシラクサのヒエロン王から援助を受け、研究に没頭していきました。
しかし発明や理論の証明で活躍していたのは、アレクサンドリアにいた時代からだったといいます。
学生の頃、つまり知識を吸収しようという段階から、すでにその才能は人並み外れていたのですね…。
彼の証明した理論でも印象的な逸話が残っているものを見ていきましょう。
アルキメデスの原理
アルキメデスといえば、まずは自身の名前が付けられた「アルキメデスの原理」でしょう。
これは物体を水に浸けたときの水位の上昇率から、物体の体積に対する比重を割り出すというもの。
これには面白い逸話があります。
金細工師に金の王冠を作らせたシラクサの王が、「銀を混ぜて誤魔化しているんじゃないだろうな?」と疑い、アルキメデスに王冠の金の比重を証明するように頼んだのです。
アルキメデスも当初はどうしたものかと思い悩みましたが、気分転換に入浴したところ、浴槽からお湯が溢れる様子を見てこの原理を思いついたといいます。
感極まったアルキメデスは服を着るのも忘れて、王冠の金の比重を証明するべく裸で街を駆け抜けたとのこと。
当時のことだから良かったのでしょうけど、現代ならアルキメデスの原理を証明する前に警察に捕まってしまいますね…。
てこの原理
てこの原理もアルキメデスが証明した中では有名な理論でしょう。
「堅い棒状のものを使えば、支点と力点の位置関係次第でどんな重いものでも持ち上げられる」というやつです。
アルキメデスは棒の両側に重さの違うおもりを乗せ、支点の位置次第で重さが違っても釣り合うことを明らかにしたといいます。
そのときの有名な名言が
というもの。
さすがに言い過ぎだろうとツッコミたくなりますが、当時はそれほどインパクトの強い証明だったということでしょう。
戦争では熱光線兵器が大活躍?
紀元前219年からは、第二次ポエニ戦争が勃発し、アルキメデスが研究を行っていたシラクサもローマ軍によって攻め込まれることになります。
シラクサは何より自身の生まれ故郷ですし、王様から研究の援助を受けていることもあってでしょうか、アルキメデスも得意の科学力を武器に、ローマ軍への抗戦に尽力しました。
このとき投石機など、てこの原理を用いた兵器も大いに活躍したのですが、彼はそれにも増して耳を疑うような兵器を開発していたといいます。
その兵器とは、なんと熱光線兵器…いわゆるレーザービームです。
アルキメデスは熱光線を用いることで、海岸を攻めてくる敵船に火災を起こし、迎撃したとのこと。
まさか、この時代のどこにそんな科学力があるのだ…と思ってしまいますが、マサチューセッツ工科大学が行った2005年の実験でも、アルキメデスの熱光線は実在したかもしれないという結果が出ています。
熱光線兵器の原理は、100枚単位の鏡(当時の時代背景から銅、青銅性のものと考えられる)を使い、太陽光線を集めて敵船に照射、そして火災を起こすというもの。
虫眼鏡を使って紙に火を点ける実験などは小学校でやったことがありますよね。
つまりアルキメデスはあの虫眼鏡実験の超大規模バージョンを駆使して、攻めてきたローマ軍に対抗したということです。
ただ、太陽の出方にも左右されるし、何より大掛かりな準備が必要になるため「これをやるなら、火矢などを使って直接火を点けたほうが早いのでは…」という指摘も出ているのだとか。
それでもアルキメデスがこの兵器を使ったというなら、「どうしても科学的なやり方で攻撃したい」といった、ある種の意地を感じますね…。
戦争中も研究に余念がなかったアルキメデスの最期
アルキメデスは、最後も幾何学の図形を地面に描き、研究にふけっているところをローマ兵に刺殺されています。
なんとまあ、本当に生涯に渡って研究に打ち込んだのだな…と感嘆させられますが、実はこのときローマ兵には、アルキメデスを殺すなという命令が出ていたのです。
ローマ軍の将軍はアルキメデスの優秀さを知っており、シラクサを陥落させても彼だけは助けようと考えていました。
ではなぜ、アルキメデスは殺されてしまったのでしょう?
そのとき彼は声をかけてきたローマ兵に返事をせず、無視したため、アルキメデスと気付かれずに殺されてしまったのです。
それも正確には無視をしたのではなく、研究に没頭する余り気付かなかったといいます。
戦争中でも、敵兵に呼びかけられても、気付かないぐらい研究に没頭する…。
数々の発明や理論の証明は、その並外れた集中力の成せる技だったということでしょうか。
きょうのまとめ
常人であれば、お風呂のお湯が溢れるのを見て、物体の比重を割り出す原理を思いつくようなことはないです。
てこの原理に関しても理解はできても、あまりに重すぎるものは持ち上げようとも思わなかったでしょう。
また研究に夢中になり過ぎて服を着るのを忘れたり、敵兵が攻めてきたことに気付かなかったりなども、普通の感覚ではあり得ないことです。
天才は得てして変わり者だということが、アルキメデスの行動からは垣間見えます。
最後に今回の内容をまとめておきましょう。
① アルキメデスの原理は、アルキメデスが入浴中に溢れるお湯を見て思いついた
② 太陽光を集めて敵船に火災を起こす熱光線兵器は実在していたかもしれない
③ アルキメデスは敵兵が攻めてきたことにも気付かないぐらい、研究に没頭していた
アルキメデスが人にはとても考えつかないことをやろうとした分、当時に科学的進歩がもたらされたといえます。
2000年経った今もくつがえらない理論がこの時代に証明されたことは、やはりとんでもないことに違いありません。