江戸時代というのは太平270年なんていわれております。
そんな長い期間、経済はいろいろ動いて、私たちのくらしを時に豊かにし、時に貧しくしました。
新井白石が政治にたずさわったとされるのはその長い江戸時代の真ん中らへんよりちょっと前。
前の時代からでてきたというどんな経済の問題を解決しようと取り組み、次の時代へどのようなものを残していったのでしょうか。
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新井白石。「元禄バブル」の後を受けて
まず白石が登場する前の時代はどんなだったかを抑えておきましょう。
あの犬公方こと徳川綱吉による
元禄バブルです。
この時の幕府の政治・経済を主に取り仕切っていたのが、萩原重秀という人物。
インフレ推進に躍起になっていたんですね。
インフレーションという言葉。
聞いたことがあるでしょう。
物価が上がることです。
が、あんまりやりすぎると、困るんですね。
お金をガッチリ保持しててもあんまり意味がないんですよ。
だって、おんなじ500円出して、今日はラーメン一杯だったのが、次の日アメちゃん一個、次の日ゴマ一粒しか買えないなんてことになったらみなさんどうです?
萩原、
その時出回っていたお金に含まれる「金」や「銀」の割合を無理やり減らして流通させたりしております。
でも、ちょっとやりすぎちゃったんですかね。
例えば、荻原さん、賄賂とか「汚職」がらみ……。
1709年に綱吉が亡くなると、さあ荻原、ちょっと困ったことになりました。
新将軍政治顧問として期待をかけられていた新井白石がここぞとばかりに責めてきます。
「もうインフレいらねーよ」
「つーか、おめー、汚職やりたい放題だな。こいつはいけねえ」
ということで荻原、幕府要職をやめさせられ、その翌年にはよほどきつかったのか亡くなってしまいました。
荻原、白石に「有史以来の奸物」、「極悪人」
ボロカスの言われようです。
もちろん「勝てば官軍」ということわざがあるとおり、ひょっとすると白石や後代の人たちが落とし込んだことかもしれません。
だって、事実は誰も見ていないですからね。
新井白石のデフレ政策
白石の政治は「正徳の治」と呼ばれております。
そのやり方は荻原と基本的に真逆です。
「インフレ阻止」
白石。お金にまじる「金」「銀」が少なすぎるからこんなことになるんだ、といって思いっきり混ぜ混ぜします。
「長崎貿易」だって制限します
荻原のおかげでいっぱい「金」「銀」が貿易品として海外に流れていましたが、
「金」「銀」国内にガッチリ保持!
と替わりにそれまで輸入に頼っていた綿布、生糸、砂糖、鹿皮、絹織物、なんかは「国内で作っちゃえ」と推奨したようです。
「勘定吟味役」だって作っちゃいます
「勘定吟味役」。
幕府のお金の出入りにビシッとチェックを入れるところです。
元々あったんですが、あの荻原が出てきてそんなお役は無くなっちゃってたんですね。
白石、さすが火の子と呼ばれるほどの一徹者をここで発揮していますね。
こうしてインフレは脱却できますが、今度はデフレになると困ったことがおこります。
お金の価値が上がりすぎると、売る商品の価値が下がっちゃうんですね。
お百姓なんか「米をお金に換えてなんて」いったって「それじゃこれっぽっちでしか買わないよ」と言って安く買いたたかれてしまいます。
しかも、白石の後にあの「暴れん坊将軍」徳川吉宗が現われて、「もう俺がやる」と言って白石お払い箱です(涙)。
あわれ、白石が幕府政治の実権を握っていたのってほんの6年ぐらいなんですね。
おかげで白石のやった政治改革はちょっと中途半端になるのですが、それを次の「暴れん坊将軍」があるところは引き継ぎ、あるところは修正してゆくことになります。
いわゆる「享保の改革」です。
きょうのまとめ
新井白石の行った政治についていかがだったでしょう。
① 白石の前任である荻原重秀が「インフレ」政策者だった
② 白石は貨幣鋳造や長崎の貿易制限などをやって「デフレ」を目指した。
③ 白石の改革は中途半端や失敗もあり、その後を徳川吉宗が引き継いだ。
「インフレ」「デフレ」の調整は実に難しいものです。
今の政治でもずいぶん苦労しておりますが。
新井白石は江戸時代にそういったものを率先して取りあつかった代表すべき政治家。
前後の荻原、吉宗と合わせて見るとよりその色は引き立ちます。
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