新井白石と言えば正徳の治。
おおむね「デフレ」を目指した政策ですが、その中に長崎貿易も組み込まれます。
貿易を制限して、「金」「銀」などの輸出を減らし、国内に流通させ、物価を安定させようとしたのです。
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長崎の町の歴史
長崎は元小さな漁村だったといいますが、南蛮貿易により次第に発展してゆきます。
やがて時代は江戸へと移ろい、幕府は鎖国政策をとります。
しかし、長崎は日本で唯一の開港地として認められ、さらにいろんな文化の混ざりあう独特の歴史を歩んでゆきます。
新井白石と長崎 年表
1570年 大村純忠、長崎開港
1639年 江戸幕府、鎖国を完成する
1657年 新井白石生まれる
1709年 新井白石、長崎から江戸に送られてきたイタリア人宣教師シドッチと会う
1715年 新井白石、長崎新令を制定
1725年 新井白石死亡
新井白石、長崎貿易を制限する
江戸幕府将軍の政治顧問役となった白石の差し当っての目標はその前政権がつくった「インフレ」の流れを止めることです。
そのために貨幣改鋳を行い、お金に含まれる「金」「銀」の割合を増やし、お金の価値を上げたのです。
それだけではありません。
白石は長崎にも目を付けました。
前政権の経済を取り仕切っていた荻原重秀は長崎でも「金」「銀」をどんどんと輸出し、おかげで国内の「金」「銀」の量が先細っておりました。
白石いわく、
「当時まで100年、日本で取れた「金」の海外への流出は全体の4分の1、「銀」で4分の3です 」
白石いわく、
「このままではあと100年もしないうちに国内の「金」「銀」は尽きてしまいます 」
しかもいけませんよ。
だって、これでは「インフレ」を招いてしまいます。
白石さんプンプンです。
「俺はインフレ大っ嫌い」
よって
「長崎君。君ね。なんでもかんでも金やら銀やら海外に売り渡しちゃいけない」
「つーかね。長崎君。きみそんなに貿易しなくていいから」
といって取り締まったのが「海舶互市新令」
おかげで「金」「銀」の流出は減ったんですが、景気は悪くなりました。
そもそも「金」「銀」以外にあまりめぼしい輸出品が当時の日本国内になかったんですね。
輸入に頼りっぱなし。
貿易赤字です。
当時の長崎は幕府の直轄市ですからね。
その赤字は結局幕府の台所事情に響いてきます。
インフレはとまったけど……
また、インフレが止まったのはよかったんですが、デフレがひどいと人々は困るんですね。
商品の価値が下がるから。
あの当時は国民のうちほとんどがお百姓さんでしたから困ったでしょうね。
しかも、ここだけの話。
いや、もう公の話なんですがね。
白石さんデータ改ざんをやっちゃってるんです。
さっき言った「金」が100年で4分の1とか、「銀」が4分の3とか、真っ赤なウソ。
はあ、白石さん、目的のためなら結構、な方ですね。
また、白石さんはまじめですからそれまで頻繁に行われていた「密貿易」なんかにも厳しく目を向けようとします。
よっぽど、先代の徳川綱吉さんや荻原重秀さんのやり方が気に食わなかったんですね。
まあ、いい加減なのも嫌ですが。
そして、白石さん。
真面目路線を貫いた割には先代以来の放漫財政による幕府の巨額赤字をさほど減らすことができませんでした。
この大仕事は次のあの暴れん坊将軍「徳川吉宗」に持ち越しです。
きょうのまとめ
貿易というのは国の経済の重要な要素となります。
新井白石と貿易の関係いかがだったでしょう。
① 白石は長崎貿易を制限し、「デフレ」を目指した
② 白石は長崎貿易を制限するために嘘をついた
③ 白石の経済政策は幕府の巨額赤字をあまり減らさなかった
新井白石という人はまじめで、かしこくて、というイメージが強いです。
ある意味、確かにそうなんですが、ようく振り返ってみると、
「ん?」
という部分も結構見当たります。
その後の徳川吉宗もそうですが、
「この人本当に経済をわかってるの?」
とか、
「財政財政って、結構シビアなことするね」
とか。
まあ、それも当時ゆえのなせる業なのかもしれませんが、面白いですね。
歴史の移り変わりによって人の評価も変わってゆくんですね。
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