本来はペルシャ帝国への遠征もフィリッポス2世の野望でしたが、
夢半ばにして暗殺された父にかわって、
息子アレクサンドロスが偉業を成し遂げます。
後に大王と呼ばれるまで成長したアレクサンドロスを語るには、
その父フィリッポス2世なしでは語れません。
今回はフィリッポス2世についてご紹介します。
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フィリッポス2世の生涯
ギリシャの中でも後進国だったマケドニアを強国にし、更にはペルシャ帝国の支配まで目指したフィリッポス2世ですが、その生涯はどのようなものだったのでしょうか。
幼少期から王位継承、ギリシャ帝国の支配と死因など簡単にまとめました。
才能あふれる幼少期
紀元前382年、父アミュンタス3世の第三王子としてマケドニア国ペラに産まれます。
幼少期には当時の強国の一つだったテーベに人質として出されました。
しかしテーベの将軍エパメイノンダスに才能を見込まれたフィリッポス2世は、エパメイノンダス家で教育をうけます。
そこで、テーベ軍の戦術や政治を学びました。
棚ぼたな王位継承
紀元前359年、兄ペルディッカス3世が戦死し、その幼子アミュンタス4世がマケドニアの王位を継承します。
兄の戦死を受けて3年間の人質生活から解放されたフィリッポス2世は、アミュンタス4世の摂政としてマケドニアに帰還します。
当時のマケドニアは周辺強国の侵略を受け、国内でもパウサニアスという王族から狙われるなど、まさに内憂外患の時代でした。
当初は摂政として政治を担っていたフィリッポス2世ですが、紀元前356年民衆の推挙により王位を継承しました。
カイロネイアの戦いでギリシャ帝国の支配者となる
テーベで学んだ戦術でマケドニアの国内外の問題を軍事力で次々と解決したフィリッポス2世ですが、その勢いは増す一方でした。
紀元前338年、ボイオティア地方の都市カイロネイアで、ギリシャのアテネ・テーベ連合軍とマケドニア軍が戦いました。
この戦いに、アレクサンドロスも騎兵部隊を率いて参戦しています。
フィリッポス2世は卓越した戦術を用いて見事勝利を治めました。
その後、スパルタを除くギリシャのポリス連合であるコリントス同盟という個別条約の盟主となり、実質ギリシャ帝国を支配しました。
結婚式の悲劇
イロネイアの戦いでギリシャの覇権を握ったフィリッポス2世は、ペルシャ帝国遠征に着手します。
重臣のパルメニオン率いる先遣部隊が次々と諸都市を制圧していきました。
紀元前336年フィリッポス2世率いる本隊の出発の前に壮行会を兼ねて、娘クレオパトラと隣国モロッソイの王子の結婚式が執り行われました。
その結婚披露の開会式典にて、護衛のパウサニアスに短剣で胸を刺され即死してしまいます。
傍らにはアレクサンドロスもいました。
この暗殺は、
・不仲の妻オリュンピアスの陰謀
・アレクサンドロスの王位継承を確実にするための策略
・暗殺者パウサニアスの同性愛関係のもつれ(当時のギリシャでは男性の同性愛は普通)
などいくつかの説があります。
原因が何にしろ、マケドニアを発展させ、ギリシャの支配者となったフィリッポス2世の生涯は夢半ばで幕を閉じました。
フィリッポス2世の偉業
フィリッポス2世の生涯を簡単にご紹介しましたが、実はアレクサンドロスと同様に数々の偉業を成し遂げています。
そこで、フィリッポス2世の偉業をいくつかご紹介します。
初の専業軍人を抱える
当時のギリシャでは、専業の軍人を持つ国はありませんでした。
しかし、フィリッポス2世はギリシャ帝国初の専業軍人を抱え、一年中軍事演習などを行い軍人や軍略の質を高めることに成功しました。
マケドニア軍が他の国々に恐れられたのも、スペシャリスト集団を作ることに成功したことが大きな要因でした。
超長槍部隊の編成
テーベで数々の軍略などを学んだフィリッポス2世ですが、帰還後編成したのが超長槍部隊でした。
長槍の長さは5.5mと、当時のギリシャでは最も長い武器です。
隊は50人で編成され、前4列が長槍を突き出し、例え負傷して倒れても、後に続く列が延々と長槍を突き出しながら進むという戦術でした。
この超長槍部隊はアレクサンドロスの東方遠征でも多いに活躍しました。
危機感を鈍らせないための習慣
王が神格化されることは歴史上よくあることですが、フィリッポス2世は危機感を鈍らせないために、
家来に
「あなたは人間ですぞ」
と3回大声で言わせていたと伝えられています。
それは、その習慣が終わるまでは誰にも面会もしないという徹底ぶりでした。
きょうのまとめ
アレクサンドロス大王の偉大なる父フィリッポス2世についてご紹介しました。
簡単にまとめると
① 幼少期よりテーベに人質となり数々の軍略や政治を学び、頭角を現す
② テーベで学んだ事を用いてマケドニア王国の発展をとげ、強国へと変貌させる
③ 強国マケドニア王国としてギリシャの覇権を握り、ペルシャ帝国への支配をも企てるが、驕らないように自制心を保つ
46歳で夢半ばで死去したフィリッポス2世ですが、この父あってこそのアレクサンドロス大王ではないでしょうか。
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