韓信は
張良、蕭何とならび「漢の三傑」と呼ばれます。
劉邦の下で頭角を現した韓信は、その武功を認められて楚王にも任命されています。
しかし、晩年疑い深い性格となった劉邦から謀反の疑いをかけられて、
兵を持たない役職にまで降格させられてしまった韓信は、劉邦に愛想をつかして反乱をおこします。
そして劉邦の部下に捕らえられて、劉邦に会うこともできないまま処刑されてしまったのです。
今回は彼にまつわる故事成語と名言についてまとめてみました。
韓信の残した名言、故事成語
背水の陣
韓信の故事成語として特に有名なのは、この言葉だと思います。
背水の陣とは、
「韓信が趙を攻めたときに、わざと自分の軍の後ろに川がくるように陣形を取り、味方に決死の覚悟をさせて敵を破った」
ことからできた言葉です。
韓信は後ろに川があるので退却することができない、助かるためには敵を破って前に進むしかない、という状態を作って部下たちの指揮を高めて戦わせました。
部下たちに対して韓信はこんな言葉をかけています。
韓信の股くぐり
こちらも韓信に関する有名な故事成語の一つです。
これは韓信がまだ若く、貧乏な不良として周りから見下されていた頃にできた言葉です。
ある日、韓信に
もしも自分は臆病者ではないと言うのであれば、俺をその刀で殺してみろ。
それができないのであれば、俺の股をくぐれ。
と言ってくる若者がいました。
韓信はそのとき、その若者を殺しはせずに彼の股をくぐることを選びました。
そのために韓信は臆病者だと大勢の人たちから馬鹿にされてしまいます。
しかし、韓信は
「将来にもっと大きな目的を達成するためには、ここで一時の恥に耐えることが大切だ。」
と考えたのです。
この韓信の股くぐりという故事成語には、後日談があります。
劉邦から楚王に任命された後、韓信は自分の故郷である淮陰区に行き「自分の股をくぐれ」とはやし立てた若者も探し出してもう一度彼に会いました。
韓信はその彼に
一時の恥を我慢してお前の股をくぐったから、今この地位につくことができたのだ。
と伝え、中尉の役職を与えたのです。
自分が若かった頃に食事を与えてくれた宿場役人や、宿場役人に食事を与えられなくなってから自分に食べ物を与えてくれた老女に恩賞を与えます。
お前は器量が狭いな。
人の面倒を見るのであれば、しっかり最後まで面倒を見るように。
と言って、少々の報酬だけを与えました。
自分の危機を救ってくれた老女に対しては、使いきれないくらいの大金を与えたそうです。
きょうのまとめ
今回は韓信に関する故事成語や名言をまとめました。
少々気性が荒い部分もあって、性格が悪い、短気だと評されてしまうこともある韓信ですが、
身分の低い立場から自分の才能と実力で一国の王にまでなった韓信からは、学ぶことが多くあります。
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この戦に敗れれば川に落ちて溺死するだけだ。
逃げられる道は前しかない。
死中に活を求めよ。