信念が見える。橋本左内の名言5選と辞世

 

幕末の越前国福井藩藩士だった橋本左内はしもとさないは志士であり思想家でした。

安政あんせい大獄たいごくで斬首刑となりましたが、その26年の短い生涯に残した名言には彼の信念が映し出されています。
 

橋本左内の名言5選

橋本左内

福井市立郷土歴史博物館蔵(島田墨仙作)
出典:Wikipedia

頭脳明晰で神童と呼ばれただけの人物らしく、橋本左内は15歳の時に『啓発録けいはつろく』という自分の志を著わしました。

その著書からの言葉を含め、現代に生きる私たちも聞いて納得する彼の名言を5つご紹介しましょう。

稚心を取り去れ

稚心を除かぬ時は、士気振はぬものにて、いつまでも腰抜士になり候ものにて候、故に稚心を去るを以て士の道に入る始と存候なり

(自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどの怠惰や甘えは幼稚な心である。幼稚な心を持てば何事も上達せず、とても気概を持った人物とはなれない。武士道第一歩は、幼稚な心を取り去ることだ)

すべきことをせずに目先に転がる遊びや楽しいこと、自分の怠惰な気持ちや親への甘えを捨て去らなければ一人前にはなれないということです。

かつての武士は、12、3歳ともなると初陣をして手柄を立て、両親から独立したものでした。

もちろん現代に武士は存在しませんが、学問の上達を目指し、一人の人間として自己を確立していくために幼稚な心を捨て去ることの必要性は現代人の私たちにも理解できますね。

急流中底の柱であれ

急流中底の柱、即ち是大丈夫の心

(急流の中に立っていても流されない柱のように、激動の時代に生きようとも動揺せずに確固たる信念や生きざまを示すのが立派な人である)

これは、左内が少年時代に使っていた桐製の書箱しょそうのフタに彼が墨書きしていた言葉です。

中国古代の歴史書『書経』にある言葉をもじったものだとされています。

少年時代から強い意志と目的を持って勉学に励んだ左内のように、私たちも信念を持って生きるべきです。

本当の学びを実行せよ

学とは、ならふと申す事にて、総てよき人すぐれたる人の善き行ひ、善き事業を迹付あとづして、習ひ参るをいふ

(学ぶとは「ならう」と読み、つまり自分よりも優れた人々の善事・善行を模倣して自分も実行してその域に達するということ。ただ詩文の創作や読書をする学問のことを言っているのではない)

現代のように教育システムが整っていなかった幕末の時代には、勉学するには個人が意志を持って学ぶ必要がありました。

ましてや、人としての生き方を学ぶためには、目標とする人の行動を真似ながら能動的に実行していかなければならないと左内は言っているのです。

受け身の学習、机上の空論ではなく、実践していくことが大切なのです。

緊張感のある心を持て

士気を引立振起し、人の下に安ぜぬと申す事を忘れぬこと、肝要に候

(士気を忘れず、人の下位に立たない気位が絶対に必要である)

単に他人と自分を比較して優劣を争うことを言っているのではありません。

人に負けまいと思う心や、悔しいと思う気持ちを常に持って心の緊張を失わないことが大切だと述べているのです。

ライバルとの切磋琢磨で、お互い能力を伸ばし合うことがあるのは私たちにも理解できますね。

これは、努力し続けるための左内なりのモチベーションの保ち方だったのではないでしょうか。

誰もが何かの素質を持つ

人間おのずから用に適する所あり、 天下何ぞなすべき時なからむ

(誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中で必要とするものは多く、自分が役に立てる事が必ずある)

何も取り柄が無い人、何の素質もない人などないと左内は述べています。

自分には才能がないと嘆く人も、それは自分の思い込みなのかもしれません。

いつか、どこかの誰かがあなたの素質を欲するかも知れないのです。

どんな職種でも努力を続け、尽くし続ければきっと自分が役に立てる場所があるはず。

この言葉に励まされるのは、幕末の人々だけではないでしょう。

 

橋本左内の辞世

橋本左内は、安政の大獄により江戸幕府の将軍継嗣けいし問題に介入した件で取調べを受け、26歳の短い生涯を斬首という形で終えることになりました。

彼の無念の思いがその辞世に残されています。

二十六年、夢の如く過ぐ
平昔へいせき顧思こしすれば感ますます多し
天祥てんしょうの大節、かつ心折しんせつ
土室どしつなほ吟ず、正気せいきの歌

(26年の私の生涯が夢のように過ぎていった。
昔のことを思い返せば、感慨深いものがある。
かつて文天祥ぶんてんしょうの大節に敬服したものであるが、
私も彼と同じように土牢の中にあって、正気せいきの歌を詠うのだ)

*文天祥とは、忠節を守って敵方の勧誘を断り、刑死した中国の南宋時代末期の軍人・政治家。牢の中で忠義を貫く心を詠った「正気の歌」で知られる。

この辞世には、死罪に処せられる彼の無念さと誇り高い生きざまが表れています。

左内は入獄から5日後の1859年10月7日に、江戸伝馬町の牢屋敷で処刑されました。

 

きょうのまとめ

今回は橋本左内の名言5選と辞世をご紹介しました。

簡単なまとめ

① 安政の大獄で処刑された橋本左内は、彼の思想や信念について多くの名言を残している

② 名言のいくつかは左内が15歳のときの著書『啓発録』に残されたものである

③ 左内の辞世には短い生涯を終える時の無念さと誇り高く生きた彼の生きざまが表現されている

橋本左内という誇り高い幕末の志士の言葉には、私たちが学ぶべき生き方のヒントが多く示されています。
 
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    歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku