「菜の花や 月は東に 日は西に」
これは1774年、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村によって詠まれた一句です。
一面に咲いた菜の花畑を、沈んでゆくオレンジ色の夕日が鮮やかに照らし、一方で月の昇り始める様子も薄っすらと見えている…そんな情景を表しています。
この菜の花を主役にした一句は、蕪村の作品の中でも特に有名なもの。
そして代表作と呼ばれているように、蕪村の詠む俳句には、この句と同じく絵画のように情景が浮かび上がってくるものが多いです。
俳人であると同時に画家でもあった蕪村。その性質が作品によく表れているといえます。
今回はこの菜の花の句を切り口に、松尾芭蕉や小林一茶と並ぶ俳句界の巨匠・与謝蕪村の世界を覗いていってみましょう。
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「菜の花や…」
冒頭で紹介した菜の花の句にはもちろんちゃんと舞台があります。
「菜の花や…」は、蕪村が摩耶山を訪れた際の一句
菜の花や 月は東に 日は西に
現在の兵庫県神戸市灘区にある、六甲山地の摩耶山に蕪村が訪れた際、目にした光景を表したものです。
このとき蕪村は京都に住居を構え、年齢は59歳。
若いころのように遠出はしなくなっています。
しかし関東・東北・四国など各地を渡り歩いた彼にとって、同じ関西圏の神戸を訪れることは、ちょっと遊びに出る程度の感覚だったことでしょう。
そして当時の神戸市灘区では、菜種油の生産が盛んで、菜の花畑が一面に広がっていました。
蕪村はそんな菜の花畑を山の上から見下ろし、同時にやってきた夕暮れに魅了されたのです。
ちなみにこの句が詠まれたのは5月に入ってからのことですが、菜の花が咲くのはだいたい4月のこと。
蕪村は神戸方面への小旅行を終えた後、その旅路を振り返るかのように、菜の花の句を詠んだのだと考えられます。
蕪村は菜の花が好きだった
どうやら蕪村は神戸市灘区の菜の花畑が大層お気に入りだったらしく、他にも菜の花を題材にした句を多数残しています。
冒頭で紹介したものと似たニュアンスの句であれば
菜の花や 摩耶を下れば 日の暮るる
というものがあります。
この句は前述のものより前に詠まれたものなので、蕪村は夕日に照らされた菜の花畑をもう一度見たいと思い、1774年の春にまた摩耶山へ向かったのかもしれません。
また摩耶山山頂付近の展望台から見える夜景は、日本三大夜景
・兵庫県神戸市の摩耶山掬星台からの夜景
・長崎県長崎市の稲佐山からの夜景
のひとつにも数えられ、蕪村の句にも、神戸港を望むその景観を表したものがあります。
菜の花や みな出はらいし 矢橋船
当時は現代のような街灯りに彩られた夜景ではありませんが、それもまた菜の花畑と、その奥に見える海のコントラストが美しかったのだろうな…と感じられる一句ですね。
情景を描写する蕪村の俳句
菜の花の句のほかにも、蕪村の印象的な句をいくつか紹介しておきましょう。
馬下りて 高根のさくら 見付けたり
馬下りて 高根のさくら 見付けたり
菜の花と同じ、春の一句。
桜の花を季語として使うのはありがちかもしれませんが、それを粋に感じさせるのが「馬下りて」という部分です。
これは満開に咲いた桜を表しているのではなく、微かに芽吹いた桜を見付けた小さな喜びを表したものでしょう。
何気なく通りかかった道で、山の上のほうに桜が芽吹き始めているのを見付け、馬を下りてその光景に見入る…といったところでしょうか。
さみだれや 名もなき川の おそろしき
さみだれや 名もなき川の おそろしき
ここまで紹介した句は、美しさや朗らかさを表したものでしたが、この句は一変して自然の恐ろしさを表しています。
降りやまない雨に、普段はなんの変哲もない川さえも脅威となり得る…
洪水の対策などもまだまだ行き届いていない江戸時代の背景も垣間見える一句ですね。
待ち人の 足音遠き 落葉かな
待ち人の 足音遠き 落葉かな
秋から冬の変わり目を表したような一句。
「肌寒い季節になってくると、急に人肌恋しくなってくる」
などとよくいいますが、ひょっとして蕪村ほどの俳人であっても、その感覚は同じだったのかもしれません。
実は蕪村はイメージに反して恋愛体質なのです。
妻子をもちながら芸者遊びに夢中になっていたなどという話も。
人の琴線に触れる作品を残そうと思うと、ある程度の遊び心は必要…ということでしょうか。
きょうのまとめ
菜の花の一句を辿っていくと、当時、摩耶山の麓に一面、菜の花畑が広がっていたこと、晩年、京都に腰を落ち着けたといっても、蕪村の旅好きが健在だったことなど、さまざまな要素が浮かび上がってきます。
やはり俳句のような作品には、その人物が何を見たのかと同時に、人物の人となりが垣間見える部分があるものです。
そう考えると伝えられている逸話以外のことも、作品を通して想像していくことができそうですね。
最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。
① 蕪村の代表作である「菜の花の一句」は神戸市灘区にある摩耶山が舞台
② 蕪村は摩耶山から見下ろす菜の花畑がお気に入りだったらしく、菜の花を題材にした作品が多数ある
③ 自然の脅威や恋心など、意外なものを題材にした作品も多い
他の文学作品などと違い、短い俳句は現代の私たちにもわかりやすいものが多いです。
ある意味では、当時の時代背景を伝えるのに非常に優れた文化だといえますね。
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