紀元前4世紀末期、マケドニア王国の王となり、後に東方へ向けてアジア、エジプト、インドへと、広範囲に渡って大帝国を築き上げた
アレクサンドロス大王。
彼の作った帝国は、それまでのギリシャ文化とアジアのオリエント文化が融合したヘレニズム文化を生み、自身の没後も後世に渡って多大な影響を残しました。
フランスの皇帝ナポレオンに、ローマの英雄カエサル、近年でいえばアメリカのワシントン大統領もアレクサンドロス大王を英雄視し、さまざまな時代においてその影響力は計り知れません。
今回は多くの人が座右の銘にしたであろう彼の名言から、その偉大な功績に迫っていきましょう。
タップでお好きな項目へ:目次
大帝国の建設に関する名言
挑戦を続ける限り
この名言はアレクサンドロス大王が残したものの中でも、一番自身の生き様が反映された言葉だといえます。
彼の一番の偉業といえば、ギリシャを出てエジプトやアジア、さらにはインドにまで及んだ東方遠征でしょう。
ここまで大規模な帝国を一代で築き上げた例は他にはなく、アレクサンドロス大王が世界史上最大の英雄と呼ばれるゆえんです。
最終的に部下たちに止められる形で、東方遠征はインドの一部に至った段階で終わりを迎えることになりました。
もし誰もアレクサンドロス大王を止めなかったら、未だかつて誰も成し得ていない、世界征服さえやってのけたかもしれません。
アレクサンドロス大王がギリシャからアジアの広範囲にかけて大帝国を築き上げたことに比べれば、大抵の難題は取るに足らないことです。
同じように挑戦し続ければ、不可能に思える難題も乗り越えられるのではないでしょうか。
私はなんて惨めで可哀想なんだ
一見すると「アレクサンドロス大王は泳げないのか…誰にだって欠点の一つや二つあるものだな」と思ってしまいます。
しかし、この名言には彼の野心の大きさが表れています。
アレクサンドロス大王が攻略していったアジアやエジプト、インドはすべて地続きです。
つまり彼はすべて陸路を用いて大帝国を築き上げていったことになります。
そしてアレクサンドロス大王は泳げなかったのではなく、海を渡る術があれば、さらに領土を広げていけると考えたのでしょう。
彼が航海の術を持っていれば、コロンブスよりもずっと前のこの時代にアメリカ大陸に辿り着いていた…
なんてこともあったかもしれません。
類まれな戦術センスを物語る名言
一頭の羊が率いるライオンの群れは恐れるに足らないが
ライオンの群れを率いる羊、羊の群れを率いるライオンは、それぞれ軍の指揮官を意味しているのでしょう。
アレクサンドロス大王は指揮官としての手腕に優れ、敵軍がどれほど多勢であろうと、決して負けることがなかったといいます。
その戦術も元はといえば、父親にピリッポス2世から受け継いだもの。
当時ギリシャ近辺の地区では、ファランクスという歩兵の陣形を固めて進軍する戦法が主流となっていました。
そのファランクスに、
・騎兵や弓兵を配置してさまざまな角度からの攻撃に備える
などの改良を施したのが、ピリッポス2世です。
ギリシャ、マケドニア間のカイロネイアの戦いでは、ピリッポス2世は300人近いギリシャ軍をこの戦術を使い、壊滅状態へ追い込んでいます。
その戦術は息子のアレクサンドロス大王にも受け継がれ、東方遠征時には各地で猛威を振るうことになりました。
彼のいうライオンとは、ピリッポス2世のような強力な指揮官のことをいうのでしょう。
指揮官が優れていれば、非力に思える羊の群れでさえ、脅威となり得るのです。
知識なしでは技術は発揮できない
戦争において無類の強さを誇ったアレクサンドロス大王。
意外にも武力よりも知識を重んじていたことがこの名言から垣間見えます。
先述のファランクスの話を例に挙げると、ピリッポス2世が陣形の改良を思いいたったのは、実際に戦場を目にすることで陣形の弱点を知っていたからです。
つまり陣形の弱点という知識があったからこそ、陣形の改良という技術が発揮され、さらに強い陣形という力が生み出されました。
力なしでは知識は応用できないというのは、実際に試せる兵力がなければ戦術の真価は測れないということでしょう。
アレクサンドロス大王は青年期、万学の祖・アリストテレスから教育を受けていました。
彼は
とも口にしており、父のピリッポス2世と同じぐらい、アリストテレスのことも尊敬していたと取れます。
アレクサンドロス大王が力よりもまず知識を重んじていたのは、アリストテレスの影響も大きいでしょう。
私の身体を埋葬し、記念碑を建てるな
史上最大の覇者として君臨したアレクサンドロス大王ですが、その生涯は短く、最後は熱病にかかり、32歳の若さで亡くなってしまいました。
そしてこの名言は、生きている間にどんなに強い影響力を持っていても、死ぬときはみんなあっけないものだということを物語っています。
戦争には一度も負けたことがないのに、最後は熱病に屈してしまう。
アレクサンドロス大王は、病魔に伏しながら「人間はなんと弱い生き物だろう…」といった心情だったのではないでしょうか。
誰しもいずれは死ぬ運命にあり、死ねば何も残らない…
ならば余計に今の一瞬をどう生きるかが最も重要なことだと、彼はこの言葉から伝えたかったのでしょう。
きょうのまとめ
アレクサンドロス大王の偉業を目の当たりにすると、「一人の人間がこれだけの功績を残すことができるのか」と勇気付けられます。
その名言を辿っても、何か目標のある人にとっては力強い追い風になるようなものが並んでいました。
最後に今回の内容をまとめておきましょう。
① アレクサンドロス大王の野心は留まることを知らなかった。海を渡る術があれば世界征服もやってのけたかも?
② 父・ピリッポス2世、師・アリストテレスを尊敬し、戦術において優れた知性を発揮した
③ 記念碑を建てないことで、どんな偉業を成そうとも死ねば何も残らないことを人々に伝えようとした
どんなことも挑戦し続ければ実現可能だということ、知識を持つことの重要性、そして誰しもいつかは死んでしまうということ…。
現代にも活かせるヒントがふんだんに散りばめられていますね。
その他の世界の偉人ははこちらから
関連記事 >>>> 「世界の偉人一覧」