第一次世界大戦後に自身の政党として「ファシスト党」を結成し、
後にイタリアを支配していたベニート・ムッソリーニ。
同時期に、ドイツでナチズムの考えの基に国を支配していた
アドルフ・ヒトラーと並ぶ凶悪な独裁者としてよく耳にする名前です。
実はそんな恐ろしい人物でも、名言をいくつか残しているんです。
独裁者の放った名言にはどんなものがあったのか。
なかにはもしかしたらあなたが共感してしまうものがあるかもしれません。
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独裁者ベニート・ムッソリーニの名言
早速、独裁者ベニート・ムッソリーニが残した名言をご紹介していきます。
羊として100年生きるくらいなら
羊として100年生きるくらいなら、ライオンとして1日だけ生きる方が良い
この名言だけでも、ムッソリーニが野心的な人物だったことがよく分かります。
穏やかで安定した、いわゆる平凡な人生を送ることよりも、
リスクを背負ってでも圧倒的な存在になりたかったようです。
そしてそれが独裁というかたちで叶ってしまったのですから、
羊たちの平穏まで脅かされることになりました。
流された血により
流された血により、時は進んでいる
この名言に関して、ムッソリーニがどのようなつもりで発言したのかは不明ですが、
自分のこととして捉えれば、「失敗や挫折があって成長する」とも考えられますし、
もっと大きなスケールで捉えれば、「時代の変化に犠牲はつきもの」
とも考えることができます。
自分を高めるために失敗や挫折を恐れない勇気は見習いたいものですが、
血の流れるような犠牲があって時代は切り開かれていく、
と考えるその冷徹さが恐ろしくもある名言です。
人々は飢えていない
人々は飢えていない、自由に飽きている
この名言は、1932年にローマで行われた対話のなかで発言している、
「人間は生きている限り、帝国主義者である」という言葉と
つながりを感じさせます。
さらに、「帝国主義へ傾いていくのは人間の本質的な傾向である」
と考えていたムッソリーニは、この考えと当時の人々の様子を結び付けて、
国民に集団意識を芽生えさせ、国民としての自覚をさせるために、
誰かが上に立ち、先導する必要があると考えていたのかもしれません。
意外な性格が見えてくる? ベニート・ムッソリーニの名言
ここからは、ムッソリーニのあまり知られていない人間性を感じられる
名言をご紹介していきます。
我々が強いのは
我々が強いのは、友人がいないからである!
この言葉自体は「名言」というより「迷言」として有名です。
確かにこれだけでは孤独な独裁者のただの強がりにしか思えませんね。
しかしムッソリーニについて調べていくと、
この発言に至った根拠のようなものが見えてきます。
彼は自らについて、自身の気性や人間に対する見方が理由で
友人を持てないと語っています。
ムッソリーニは人間嫌いで人を信用しないことで有名な人物でしたが、
自分でもそれを自覚していました。
独裁者となって部下や関係者と毎日のように顔を合わせるようになってからも、
あくまでもその発言内容にしか目を向けず、彼にとってそれは机の上に置かれた
書類の束と変わりありませんでした。
例え古くからの旧友であっても、ほとんど会うことはなく、
親密さと議論の両方と距離を置き、彼らの進む道を遠くから眺める。
それが彼にとってちょうど良い人との距離感であり、
人間嫌いで人を信用しないと言われる原因にもなりました。
それを知ってから改めてこの名言の意味を考えてみると、
自分のなかの核となる孤独を誰にも触れさせず、人情や余分な情報に惑わされることなく
信念を貫いたことで国家の頂点にまで登り詰めたのだ、と言っているようにも思えます。
人を信じられることは確かに良いことだ
人を信じられることは確かに良いことだ。人を信じなくていいのはさらに良いことだ
ひとつ前の名言で、ムッソリーニが人間嫌いで人を信用しないことについて触れましたが、
この名言からも同様にその考えが見えてきますね。
人を信じることができないムッソリーニは、人を信じなくていい状態を作るために、
若い頃からあらゆる本を読み勉強して知識を身に着けました。
実際に彼は膨大な知識量を持ち、博識で聡明、頭のいい人物だったと言われていますが、
そのことに関して自分でも自信を持っていたことが、
話す様子から感じ取れたと関係者は語っています。
きょうのまとめ
今回は、ベニート・ムッソリーニが残した名言を5つご紹介しました。
独裁者っぽさの見えるものや、内面に触れるような名言もあったのではないでしょうか。
最後に名言を振り返ってみましょう。
① 羊として100年生きるくらいなら、ライオンとして1日だけ生きる方が良い
② 流された血により、時は進んでいる
③ 人々は飢えていない、自由に飽きている
④ 我々が強いのは、友人がいないからである!
⑤ 人を信じられることは確かに良いことだ。人を信じなくていいのはさらに良いことだ
野心や努力の向かう先がどこになるのかによって、
その人自身の運命は日々変化していきます。
ましてやそれが非凡な人物ならば、ときに自分どころか国家さえも
その歯車のなかに巻き込んでしまうのです。
ベニート・ムッソリーニの名言のなかには、やはりどこか
危うさのようなものが見えている気がします。
残念ながら独裁者として他者に代償を払わせた感が見れば全て迷言なんだよな