歴史上の出来事については、学者たちが頭を寄せても100年前の事実関係さえ正しく把握できないことも多くあります。
源義家の時代はもう1000年近くも昔の話しです。
彼から続く子孫について辿っていくことなど難しそう・・・。
ところが、源氏のように力のある氏族となると、先祖の事実を子孫に託しながら時間を超えた絆を現代に伝えているのです。
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清和源氏と源義家
まずは超簡単に清和源氏とは。
清和源氏とは、第56代目となる清和天皇を系図のトップとして始まる家系の氏族です。
清和源氏の始まり
清和天皇は858年に9歳で天皇に即位し、26歳の時に9歳の第一皇子陽成天皇に譲位しました。
そして天皇になれなかった清和天皇の第六皇子・貞純親王の息子・経基王が臣籍降下して「源姓」を名乗ります。
清和天皇の孫、経基王改め源経基こそ初代清和源氏です。
清和天皇から源義家までの流れ
初期の源氏は、朝廷や藤原氏に仕え、官職に就いていました。
源経基から数えて3代目と4代目になる源頼信・頼義父子は武勇に優れていました。
その活躍を見込まれて、頼義は平氏嫡流の平直方の婿となりました。
その嫡男として1039年に生まれたのが源義家です。
直方の鎌倉の屋敷や所領などは義家のものとなり、義家たち源氏は関東に拠点を持つことになったのです。
源義家とその家族
源義家はもともと河内国(大阪府)の生まれで、清和源氏の中でも河内源氏と呼ばれる一族です。
日本史上で活躍する武闘派源氏を最も多く輩出している血統です。
源頼義を父に、平直方の娘を母に持った八幡太郎・義家は、弟の賀茂次郎・義綱、新羅三郎・義光らと共にさらに武闘派源氏の名を轟かせました。
源義家の子孫
義家には6人の息子がいたと言われています。
そのうち次男、三男、四男とされる義親、義忠、義国に注目してみましょう。
源義家の子孫として歴史上著名な人物たち
源義家の子孫たちには、私たちにも馴染みのある著名な武将が多くいます。
源為義の父親と言われる。
この家系には、平家を都から追放した木曽義仲、平家滅亡に活躍した源義経、鎌倉幕府を作った源頼朝たちが続く。
彼ら3人は、為義の孫、義家から数えて5代目の源氏たちである。
鎌倉幕府を倒した新田義貞、室町幕府を作った足利尊氏はそれぞれ義重と義康からの9代目となり、源義家からみれば10代目の子孫である。
上記の錚々たる武将メンバーの名前を見れば、清和源氏、特に河内源氏がもっとも栄えた源氏一族とされる理由がわかるでしょう。
ちなみに、徳川家康は新田氏系列の源氏であると自称していました。
また、戦国武将として名高い武田信玄は、河内源氏から派生した庶流である甲斐源氏の武将です。
甲斐源氏は義家の弟である新羅三郎を祖にしています。
現代に生きる誇り高き源義家の子孫
このように源義家の子孫たちは、「八幡太郎義家」の子孫であることを誇りに思いながら活躍し、日本の歴史に大きな影響を与えました。
その中には今でも直系の子孫として家系図を持ち、源氏の子孫としての自覚を持って生きている人物もあります。
現代に生きる源義家の直系子孫として最も知られている人物は、元内閣総理大臣の細川護熙氏でしょう。
足利氏から分かれた戦国大名・細川忠興の直系・細川家第17代当主・細川護貞氏と、近衛家第30代当主であり内閣総理大臣にもなった近衛文麿の次女温子さんとの間の長男です。
彼の一族の名前には、細川だけでなく毛利、近衛、池田など歴史上で活躍した人々を思い起こさせる姓の方々がずらりと並びます。
きょうのまとめ
今回は源義家の子孫にどのような人物がいたのか、また現代に続く直系子孫についてご紹介しました。
簡単にまとめると
① 源義家の河内源氏は、清和源氏の中で武士として最も栄えた血統である
② 源頼朝や足利尊氏なども義家の直系子孫だ
③ 元内閣総理大臣の細川護煕氏は、現代に続く義家の直系子孫である
多くの重要人物を輩出している義家の血統。
源義家という人物を共通項として持つ人々の時空を超えた絆が存在するのかもしれません。
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