スペイン、フランス、オランダ、スコットランド……。
海をめぐって、宗教をめぐって、地位をめぐって、列強や諸侯が野心を募らせ、陰謀を張りめぐらせ、激しくしのぎをけずりあっていた時代です。
そんなさなかに、イングランドの女王として立ったエリザベス1世。
彼女は女性という身でありながらどのようにして生き残り、祖国を強国に押し上げていったのでしょうか。
とてもかしこくてクールな女性指導者としての彼女の成功の秘訣をその名言から学んでまいりましょう。
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エリザベス1世名言集3選
私は国家と結婚している
イングランド女王エリザベス1世は一生で一度も結婚しておりません。
それゆえについたあだ名が処女王(ヴァージン・クイーン)。
ただ、イギリス女王として戴冠(初めて王冠をかぶる)した時の上の宣誓がその心意気を表しております。
実際、エリザベス1世は諸国の王侯から次々と結婚を求められますが、みんなのらりくらりと破談にしてしまいます。
これは非常にかしこい国家的戦略でして、何せ求婚されているうちはその国から攻められる心配がありません。
当時のヨーロッパのそこらじゅうで戦争がたくさん起こっておりましたから、これは貴重なことです。
エリザベス1世はむやみに戦争で国力を浪費させるのを嫌っておりましたからね。
それにエリザベス1世の場合は結婚をして没落を招いてしまった2人の女王を身近に知っております。
1人はイングランドのメアリー1世。
もう1人はスコットランドのメアリー・スチュアートです。
メアリー1世の場合はスペインのフェリペ2世と結婚し、フランスとスペインの戦争に巻き込まれてしまいました。
結果、大陸に最後に残っていた領土カレーと国家からの信用をも失います。
メアリー・スチュアートは仲の悪くなった夫が急に事故死し、彼を殺したのではないかと疑われ、祖国をも追われました。
また、エリザベス1世の場合は母親が父ヘンリー8世の身勝手で殺されてしまったことも影響があるかもしれません。
おさないころの経験がその人の成人後の性格に大きく影響するのは歴史の世界でも大アルアルです。
私はか弱い女
エリザベス1世がスピーチでよく使う一節です。
「女性だからといって男性社会でやっていくために男性のようになれ」
というより、これは
「女性としての強みを存分に生かせ」
という典型的な戦術です。
たとえば、エリザベス1世の時代、イングランド国内ではカトリックと新教がたがいに激しくしのぎをけずりあっておりました。
それまでの王、女王はどちらか両極端に肩入れし、国内は分裂気味、結構なさわぎにも発展しておりました。
ところが、エリザベス1世は
という口上を前面において、どちらにもつかない“ほどほど”路線を進めてゆきます。
ただ一方で、両極端の人たちには逮捕・弾圧など力づくで対応します。
こういった現実的、かつ、しなやかなやり方で国内は安定。
エリザベス1世流の真骨頂です。
なんぴとであろうとも、戦いを挑みます
……中略……。
あなた方と生死をともにするために。
わが国家を神のみ心に委ねるために。
そしてわが名誉とわが血をわが民のための塵と化さんとして。
繊細で弱い女の肉体を持つ者ですが、私のこころと精神は、王のように勇敢で、恐れを知りません。
わが王国の境界線をふみにじる者は、なんぴとであろうとも、戦いを挑みます。
出典『ルネッサンスの女王エリザベス~肖像画と権力~』著・石井美樹子/朝日新聞社」
当時、世界最強だったスペインの無敵艦隊(アルマダ)との戦争に先立ち、ティルベリー平原の陣頭でおこなったスピーチです。
間もなく1588年イングランド海軍は英仏海峡にてアルマダに歴史的勝利をかざり、祖国は守られ、その栄光は世界へと輝きわたります。
きょうのまとめ
「スピーチ」は人を動かしたい者にとって強力な戦略ツールです。
アレクサンドロス大王にしろ、ユリウス・カエサルにしろ、J・F・ケネディ大統領にしろ、マーチン・ルーサー・キングにしろ、みんな「スピーチ上手」。
エリザベス1世も人々の情緒に訴える技は手慣れたものです。
ただ、口八丁はこまりますけどね。
① エリザベス1世は一生独身をつらぬき、その強みを生かして列強を翻弄(ほんろう)した
② エリザベス1世は「私はか弱い女」と言って、うまく“ほどほど”路線に乗り、国内を安定させた
③ エリザベス1世によるティルベリーの演説は歴史に残る名演説である
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……中略……。
子を産まないからといって責めないでください。
あなた方ひとりひとりが、わたくしの子どもなのですから。
出典『ルネッサンスの女王エリザベス~肖像画と権力~』著・石井美樹子/朝日新聞社」