そもそも、
伊豆半島の突端近くにある港町下田は
水路の拠点として歴史的意義の深いところです。
そこにきて、
ペリー来航といえば、
必ずその名が挙がってくる場所ですが。
浦賀、下田、箱館(今の函館)、横浜……。
ああ、
どれがどれやらいったい!
受験生泣かせのそのあたりを
この際、きっちりまとめなおしましょう!
そして、
ほかの幕末の英雄たちとの意外な関係も?
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とても良好な軍事・海路の要衝
伊豆半島の突端近くにあり、
よい港と山がちな地形を生かし、
軍事的にも産業的にも
大変な要衝。
1590年
豊臣秀吉による
小田原征伐では
北条方は
清水康秀に兵500をつけ、
ここの城将として守らせます。
対して
こちらに来襲した豊臣方の兵力は
15000。
清水は伊豆武者の意地として50日間持ちこたえますが、
ついに降参。
そしてまもなく、
関東一円に長らく覇を唱えつづけた北条五代も落日をむかえねばならなくなります。
江戸時代に入ると、
江戸と大坂を中継する
“風待ちの港”
として発展。
栄えた時には
「出入り3000艘」
とよばれるほど。
一方で
御番所
が置かれ、
海の関所としての役割も果たしました。
ペリー来航
そして、
太平の世は長らく移ろい、
1853年
ペリー率いる黒船艦隊がやってきます。
下田沖にその船影が見え、
彼らが初めて日本に入港したのは
浦賀(三浦半島の突端。江戸湾への入り口)。
そして、
ペリーが初めて上陸したのは
久里浜(三浦半島の突端。浦賀の近く)
です。
翌年の再来航でも最初にやってきたのは
浦賀。
幕府と日米和親条約を結んだのが
横浜。
その後、
「開港地候補」
箱館を視察。
そこから戻ると
もうひとつの候補地
下田にやってきます。
ここでは横浜でつめきれなかった
部分をさらに細かくまで。
条約は完成します。
こうして、
箱館
と
下田
は開港。
ただもともと、
ペリーは
開港の候補地に
下田
を入れていなかったようですね。
その候補地とは、
浦賀、神奈川付近、松前、琉球、鹿児島、松前など。
中でも
あそことあそこは
江戸まで目と鼻の先。
幕)……。
それにくらべると、
下田ってもともと日本の東西回路の要衝として栄えたほどの結構開かれた“都会”でしたし、
沖は黒潮流れ、
岩礁の多い
海の難所
であって、
格好の避難所。
そうですよ!
日米和親条約というのは
なにも
日本との交易を約束したものじゃないんです。
あくまで、
捕鯨船などの中継地。
こんないい場所ないじゃん!?
双方のニーズがうまく折り合ったのでしょうか。
「箱館と下田」
2港でOK!
となりました。
吉田松陰、衝撃の計画を決行!
ちなみに
この下田。
ペリーだけではございません!
幕末を動かした
あの
英傑たちとも
ものすごく
ゆかりが深いんです。
まず、
長州志士たちの精神的支柱
吉田松陰。
もう知っている人も多いかもしれない
あの
黒船へのもぐりこみ大作戦。
決行したのはこの下田です!
当時の日本と比べあんまり“進んでいる”と衝撃を受け、
5度まで西洋への渡海を企画しますが、
いずれも失敗。
しかし、
松陰先生がそんなことであきらめる人だと思いますか?
「二度と花のお江戸を見ることはない」
という決然たる覚悟をもって
夜陰に乗じ、
小舟をしっとんしっとん……。
ついに黒船と接触し、甲板に上げてもらいますが、
当然追い返されます。
この男とそのツレ
二人のために
アメリカ一国の大事な条約を反故にされてしまうわけにはいきません。
一応ですが、
これは当時の日本でも立派な罪です。
松陰らは潔く自首し、
国元に送り返され、
牢屋につながれることとなりました。
意外な幕末三英傑にもゆかり
そして、ここに三人。
坂本龍馬、勝海舟、山内容堂。
龍馬は土佐藩を脱藩した浪士です。
もともとは
尊王攘夷思想を支持していたのですが、
勝の開明的な意見を聞いて、
その主張を変え、
勝の開いた
神戸海軍操練所
の生徒となります。
なにせ、
勝は咸臨丸に乗船して、
その体でアメリカを経験した人です。
そんな勝が神戸から江戸へのある帰りがけ、下田に立ち寄ります。
ふとたまたま、
同じ下田に居合わせたのが土佐藩主山内容堂公。
勝は普段飲めないお酒まで飲んで容堂にお願いし、
龍馬の脱藩を許してもらうこととなりました。
きょうのまとめ
下田で
毎年5月の第3土曜とその前後3日は
黒船祭。
花火がたくさん打ちあがり、
勇壮な日米合同軍楽隊によるパレード、
下田での条約調印の再現劇、
などイベント盛りだくさん!
そもそも、
キンメダイやイセエビなどの海産、そして名物干物。
さらには
地酒にオレンジ
だけでなく・・・
① 下田は豊臣秀吉の小田原征伐とゆかりがある
② 下田はもともと開港地の候補になかったが、日米双方の利害が程よく合致したのか、日米和親条約では選ばれた
③ 下田は幕末の英雄“吉田松陰”、“坂本龍馬”、“勝海舟”、“山内容堂”ともゆかりが深い
初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスゆかりの
牛乳アンパン!
ハリスさんは牛乳がものすごく大好きだったようで、
当時、国禁の日本でも無理を言って用意してもらったようです。
ペリーの年表を含む【完全版まとめ】記事はこちら。
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