首相・山本権兵衛を辞職に追い込んだシーメンス事件とは?

 

1914年1月、ドイツで電子機器などを中心に製造していたシーメンス社と、日本海軍のあいだで賄賂わいろの受け渡しがあったとするシーメンス事件が発覚。

事態は当時の首相・山本権兵衛やまもとごんべえ率いる山本内閣の総辞職にまで発展しました。

山本は海軍大臣として日露戦争の勝利に貢献し、その功績もあって就任した首相でした。

海軍出身ということで責任を取らされてしまったわけですが、はっきりいってこの辞職はとばっちりともいえます。

シーメンス事件とはどんな事件だったのか、今回はその背景を辿ってみましょう。

 

シーメンス事件はどんな事件?

山本権兵衛

山本権兵衛
出典:Wikipedia

シーメンス事件は、シーメンス社が日本海軍将校と通じ、海軍と取り引きしていた他社の情報を受け取る見返りに、将校に賄賂を渡していたことを発端にします。

事件の概要

当時はまだ国内の技術が確立されておらず、海軍は外国企業に造船などを頼っていました。

その際、取引先が提示した条件に応じて、海軍の入札によって企業が選ばれており、シーメンス社は他社がどんな条件を提示するか事前に入手することで、取引を有利に運ぼうとしたわけです。

情報の入手ルートは、海軍鑑政本部で造船に携わっていた鈴木周治の妻が、シーメンス横浜支配人の吉田収吉の姪ということで、そこから将校たちに通じて確立されていました。

収賄が発覚すると、賄賂を受け取っていた

・藤井光五郎少将

・沢崎寛猛ひろたけ大佐

の両名が軍法会議にかけられ、それぞれ懲役および罰金刑を受けることに。

その際、広島の呉鎮守府くれちんじゅふにて司令長官を務めていた松本和中将が巡洋戦艦「金剛」の造船に際し、イギリスのヴィッカース社からも賄賂を受け取っていたことが発覚。

海軍内部の腐敗が次々に明るみに出る事態になるのです。

事件が発覚した経緯

事件が発覚したのは、シーメンス日本支社に務めていたカール・リヒテルという人物が、解雇されたことを逆恨みし、賄賂を贈ったことを示す書類を盗み出していたことからでした。

リヒテルは盗み出した文書を盾に、シーメンス東京支店長に脅迫状を送ります。

しかしシーメンス側が要求に応じなかったため、国際通信社であるロイター通信の特派員アンドルー・プーレーに書類を売却し、リヒテル自身はドイツへ帰国。

海軍の体裁や、自社との取引に影響することを懸念したシーメンスは、プーレーと交渉し、この書類を買い戻します。

これでこの一件は収束したように見えました。

が…、なんと一連の経緯を把握していたドイツ政府は、帰国したリヒテルを恐喝未遂で起訴します。

裁判のなかでシーメンスから海軍将校へ賄賂があったことも明かされてしまうのです。

これをロイター通信が報道したため、日本の政府にも収賄の事実が発覚し、軍法会議へと発展します。

 

首相として責任を問われた山本権兵衛

事件の責任を問われ、海軍出身で内閣総理大臣を務めていた山本権兵衛は辞職に追い込まれ、成立からわずか1年ばかりで山本内閣は解散することに。

それだけでなく山本と、海軍大臣の斎藤実は海軍の予備役に降格し、有事の際を除き、軍務に携わることを許されない立場となってしまいました。

この事例によって海軍が有力者を失い、陸軍主導で第二次世界大戦に関わっていく流れができたとの見方もあります。

山本権兵衛が辞職に追い込まれた理由は?


山本が辞職することになったのは、事件とは別のところで国民から反感を買っていたことも関係があります。

そもそも山本は任期こそ短かったものの、1913年の国家経費を11%も節減する功績を残すなど、非常に優れた政治手腕をもつ首相でした。

しかし軍備拡大のため、

・営業税

・織物消費税

・通行税の増税

案を出しており、これが国民の反感を買っていました。

こういった経緯もあり、シーメンス事件が発覚すると、海軍出身の山本は見事に国民から標的にされてしまうのです。

1914年2月10日に行われた内閣弾劾国民大会では国民が国会議事堂に詰め掛け、警官隊が取り押さえる騒ぎにまで発展しました。

このときの弾劾決議案は否認されたのですが、事態が激化していたこともあり、1ヶ月後の3月24日、山本内閣は総辞職に至るのです。

山県有朋の陰謀説も?

一説ではこの収賄事件は、陸軍大将で内閣総理大臣も務めた山県有朋やまがたありともの陰謀では?

などといわれていたりもします。

真相は定かではありませんが、山県は陸軍の軍備拡大などに際し山本と対立していたため、海軍の失墜を狙って裏で手を回していたといわれているのです。

ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は、日露戦争でロシアを下した日本海軍の力を恐れており、山県はこのヴィルヘルム2世と交流があったため、そういわれるようになったのだとか。

国内でそんな足の引っ張り合いするか…?という感じですが、この時代は政府内の対立もいろいろややこしかったのですね。

 

きょうのまとめ

そもそもは海軍将校とシーメンス社の問題だったシーメンス事件。

しかし当時の情勢に押され、罪のない山本権兵衛までも辞職、海軍の予備役に降格という道を辿ることとなってしまいました。

なんだかやり切れない気もしますが、海軍の育ての親である山本にも、やはり責任はあったのでしょうか?

最後に今回のまとめです。

① ドイツのシーメンス社は海軍将校から他社の情報を得て、海軍との取引を有利に進め、見返りとして将校に賄賂を贈っていた。

② 収賄事件が発覚したのは、シーメンス社を解雇されたカール・リヒテルが賄賂に関する書類を盗みだし、脅迫未遂罪で起訴されたため。

③ 首相の山本権兵衛は、増税案の発案で国民から反感を買っていたこともあり、海軍出身の肩書を取り沙汰され、辞職に追い込まれた。

政府が発足したばかりのこの時代のこと、ちょっとしたほころびから辞職に追い込まれることは珍しくないことだったのでしょうね。

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