徳信院とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

幕末期、皇室から一橋家へと嫁ぎ、当主たちの支えとなった人物

徳信院とくしんいん

第15代将軍・徳川慶喜の義祖母にあたり、慶喜も彼女から多大な影響を受けたといわれます。

大河ドラマ『青天を衝け』では、美村理恵さんが演じています。

渋沢栄一との関わりはありませんが、動乱に揺れる幕末の時勢において、慶喜の心の拠り所となる女性像を演じます。

そんな徳信院、史実でも一橋家においてかなり重要な役割を果たした人物だったりするんです。

いったいどんな人だったのでしょう?

慶喜と恋仲だったという噂も…?
 

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徳信院はどんな人?

プロフィール
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徳信院

徳信院
出典:Wikipedia

  • 出身地:京都
  • 生年月日:1830年11月2日
  • 死亡年月日:1893年1月3日(享年64歳)
  • 第15代将軍・徳川慶喜の義祖母となり、実の姉のごとく支えた人物。慶喜の留守には、当主の代理として一橋家を切り盛りした。

 

徳信院 年表

年表

西暦(年齢)

1830年(1歳)伏見宮貞敬ふしみのみやさだよし親王の王女として生まれる。

1841年(12歳)一橋徳川家7代当主・一橋慶壽よしひさと結婚。江戸へ降嫁する。

1847年(18歳)夫慶壽が病没。仏門に入り、徳信院と名乗る。同年、一橋慶喜が一橋家の養子となり、義祖母の関係となる。

1859~1866年(30~37歳)慶喜の謹慎、上洛による不在に際し、一橋家の指揮を担う。

1868年(39歳)江戸城無血開城に伴い、一橋邸の立ち退きを余儀なくされる。

1886年(57歳)徳川慶喜の案内で静岡観光を行う。

1893年(64歳)脳溢血のういっけつにより死没。

 

伏見宮家から御三卿・一橋家へ

1830年、徳信院は皇族・伏見宮貞敬ふしみのみやさだよし親王の17王女として生まれました。

幼名は東明宮直子とめのみやつねこといい、徳信院を名乗るのは嫁入りあとの話です。

近しい親戚でいえば、幕末期に孝明天皇を補佐した中川宮なかがわのみやが甥にあたります。

甥といっても、中川宮は徳信院より6歳年上。

徳信院は貞敬親王の子息でも晩年に生まれたため、甥よりも年下という不思議な親戚関係になっているのです。

徳信院は12歳のころ、徳川御三卿ごさんきょう一橋家の当主、一橋慶壽よしひさに嫁ぐこととなります。

御三卿は徳川宗家の分家で、宗家に子息がいない場合に将軍後継者を出すことが許された家柄。

徳信院は、同じく御三卿の清水家に嫁いだ姉・英子女王の仲介でこの縁を得たといいます。

ただ、そんな御簾中ごれんじゅうとしての生活も束の間のこと。

(※御簾中…江戸時代以前の日本における貴人の正妻)

1847年、夫の慶壽は天然痘に感染し、25歳の若さで病没してしまうのです。

これによって徳信院は18歳にして未亡人となってしまいます。

仏門に入り、「徳信院」と名乗るようになったのも、このころのことでした。

 

一橋慶喜と恋仲だった?

7代当主の慶壽が亡くなってすぐ、一橋家は次期当主として、尾張徳川家より昌丸という幼児を養子に迎え入れます。

しかしなんと、昌丸は一橋家に入って3ヶ月後に病没。

次いで、9代当主として迎えられることとなったのが、水戸藩主・徳川斉昭の7男、七郎麻呂でした。

そう、のちの将軍・徳川慶喜ですね。

名前を一橋慶喜と改めたのも、養子に入ったことがきっかけ。

この慶喜と徳信院が、恋仲だったかもしれないという話があるんですよね。

徳信院との親密すぎる関係に、慶喜の正室が自殺未遂

徳川慶喜

慶喜は慶壽の2代あとの当主のため、徳信院から見れば義理の孫にあたります。

ただ、当時慶喜は11歳で、徳信院は18歳。

その関係性はまるで姉弟のようであったといわれています。

慶喜はたびたび徳信院の部屋を訪ね、うたいの稽古をしたり、一緒に食事をしたり。

慶喜の母が皇族出身の吉子女王のため、同じ皇室育ちの徳信院の振る舞いに親しみを感じる部分もあったのでしょう。

こうしたふたりの関係は慶喜の正室・美賀君みかぎみが嫁いだあとも続いており、

嫉妬に狂った美賀君がふたりの恋仲を疑って喚き散らしたり、自殺未遂を謀ったりする事態にも発展しています。

『青天を衝け』6話では、そんな美賀君の姿に慶喜が

慶喜
私は女子とは、母上や徳信院さまのような方ばかりかと思っておりました…

と、嘆く様子も描かれていましたね。

慶喜はあまり感情を表に出す人ではなく、妻の扱いが淡々としていたことも嫉妬の一因となったようです。

美賀君以外からも恋仲を疑われていた


慶喜と徳信院が恋仲であった確証はありませんが、ふたりは周囲から見て、怪しまれても仕方がない雰囲気だったといいます。

越前藩主・松平慶永よしながと宇和島藩主・伊達宗城むねなりは、ふたりの恋仲について

「あり得ないことではない」

というやり取りをしていたという話。

特に伊達は手紙のなかで、

「美賀君より徳信院のほうが綺麗だから…」

とまで残していたりします。

夫は自分より徳信院に夢中になり、周りからも徳信院のほうが綺麗だといわれる。

美賀君としてはどうにも不憫な話です…。

 

当主不在の一橋家を支える


徳信院はこの時代の女性としては珍しく、幕政にも影響力をもった人物とされています。

その逸話のひとつとして語られるのが、第13代将軍・徳川家定の後継として慶喜が候補に挙がったときのこと。

慶喜にとっては出世も出世ですが、徳信院はこれに反対しています。

「せっかく一橋家の当主として様になってきたのに、また他所に移られるのは心細い…」

慶喜との食事中にそう発言し、これがもう一方の将軍候補・徳川慶福よしとみが選ばれる一因になったと考えられているのです。

夫を亡くし、その後の昌丸も早逝…慶喜が立派な当主に成長するまで、徳信院には人知れない苦労があったのでしょうね。

また、徳信院はこのように慶喜の動向に影響を与えただけでなく、自身も当主に代わる器をもった人でもありました。

1859年、慶喜は大老・井伊直弼なおすけ「安政の大獄」によって謹慎の身に。

復帰後も朝廷との交渉に駆り出され、江戸を留守にします。

このような経緯から、一橋家は長らく当主不在となりますが、その切り盛りは徳信院によって行われていました。

のちに尾張藩から新しい当主・茂秀が養子入りした際も、徳信院宛てに打診が寄せられたという話。

この扱いも、徳川宗家が徳信院を一橋家当主と認めていたことを物語っています。

ちなみに、慶喜が留守にした一橋家で過ごすうち、ひと悶着あった徳信院と美賀君の関係は改善していったとのこと。

三角関係の張本人がいなくなったことで、わだかまりがなくなっていったのかも。

 

晩年まで続いた慶喜との関係

新政府が成立し、慶喜が江戸開城を行うと、徳信院も一橋邸からの立ち退きを余儀なくされることとなります。

徳信院はその後、文京区の小石川邸に移り住み、慶喜の徳川宗家は静岡に移封。

姉弟のように過ごした慶喜との縁も、ついに遠のいてしまうことに。

…と、思うところですが、慶喜はここで徳信院との関係を終わらせようとはしませんでした。

徳信院も晩年のころ、静岡に彼女を招いて観光案内をしていたりするんですよね。

このときは美賀君も同行しており、以前は夫を取り合った(?)とは思えないほど懇意になったふたりの様子が垣間見えます。

また慶喜は三女の鉄子、孫の幹子をそれぞれ一橋家に嫁がせており、その姻戚関係を子孫の代にもつなげていきました。

 

きょうのまとめ

幼くして親元を離れた徳川慶喜の姉代わりとなり、陰ながら支えていった徳信院。

一橋家へ養子に入った関係で、気心の知れた家臣が少なかった慶喜にとって、彼女の存在は相当に大きなものだったのではないでしょうか。

維新後も続いたふたりの関係性が、将軍の拠り所であった徳信院の功績を物語っています。

最後に今回のまとめ。

① 徳信院は一橋家の御台所となるも、18歳のころに夫が早逝。のちに養子入りした一橋慶喜を義祖母として支えることとなる。

② 姉弟のように仲の良かった徳信院と慶喜には、恋仲の疑いもあった。事態は慶喜の正室・美賀君の自殺未遂にまでいたる。

③ 幕末の動乱を巡り、慶喜は長らく一橋邸を留守にする。その間、徳信院が当主の代理を務めていた。

④ 明治維新で移封となったあとも、徳信院と徳川慶喜の関係は続いている。慶喜は子孫を一橋家に嫁がせ、その姻戚関係を維持していった。

男性社会であった江戸時代において、女性の功績が語られる機会は少ないものです。

しかし詳しく辿ってみると、この時代の女性も男性に負けないぐらい、重要な役目を果たしていたことが伝わりますね。

大河ドラマなどでその活躍が描かれるのは、認識を改める良い機会だと感じます。

 
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