厨二病という言葉があります。
中学二年生のように、現実が全然ともなっていないのに、空想的な意欲に燃えたぎったそのギャップのはなはだしい様子を表します。
李白に孟浩然に玄宗に楊貴妃。
はっきり言って唐の全盛期は厨二病のオンパレードです。
それだけ物でも心でもゆとりのある時代だった、ということです。
さて、杜甫。
“詩聖”と呼ばれています。
もう厨二病のにおいがプンプンしますね。
そんな厨二病的生き方を極めぬけばどこまで行けるのかを見てやりましょう。
杜甫はなぜ詩聖と呼ばれるのか
そもそもなぜ杜甫が詩聖と呼ばれるのでしょうか。
この“聖”とは儒教的な考えにもとづく“聖”を表します。
儒教が大事にする考えはこちらです。
●義(約束を守る)
●礼(マナー)
●知(知恵)
ここが自由奔放な李白とはちがうところです。
杜甫はまじめです。
きまじめです。
ガンコで世間ごとに気が回らず、結局は李白と同じようにどこにいってもやっていけません。
そういえば儒教を開いた孔子も同じようにどこにも面接に受からず、受かっても失脚ばかりしておりました。
杜甫がなぜ“聖”なのか、ピンとき始めましたか。
社会記者杜甫
杜甫はまじめです。
当時、ふつうの民衆の間では
●老夫婦が死に別れになってしまったり
●貧しい人が故郷からでていかなくてはならなくなったり
ところが、長安の都では玄宗やら楊貴妃やら安禄山やらいろんな権力者たちが自分勝手にセレブ満開この世の春、あるいは不毛な政治ゲームに明け暮れまくっております。
杜甫はこれから試験を受けて、公務員になる立場(杜甫はなかなか合格しないのですが)。
ところが、当の公務員たちの多くは日々の暮らしに追われたり、上で記したようなでたらめな上役の人たちに気に入られようとするばかり。
杜甫は「おい、ちゃんとしろよ」とばかりに人々の苦しい暮らしのありさまを漢詩に詠(うた)いあげます。
杜甫の漢詩は時に生々しい社会ニュース記事です。
複雑な聖人杜甫
そのくせ杜甫は公務員になると、
「サラリーがないとちょっとしたぜいたくもできないからね」
などとうそぶいております。
満四十三才でやっと自分の給料で食べられるようになったおっさんの気持ちをかみしめましょう。
おっさんはそれでも政権批判をやめません。
「世の中には食うものもない赤ん坊がいる。失業者だっていっぱいいる。なのに華清池(今でいう超高級クラブ)で遊び腐っているおえら方(玄宗・楊貴妃その他もろもろ)はなにをやってるんだ」
と一流の格調高い漢詩で詠(よ)み上げます。
まあ、当時の杜甫は公務員として地位があまり高くないので、おえら方にはまったく届くよすがもないのですが。
そして、結局はすぐに公務員を辞めちゃい、また旅に出ます。
ますます複雑な聖人杜甫
杜甫の暮らしはものすごく貧乏です。
いつも食べるものにこまっております。
凶作の時にはどんぐりや山イモなどの野の味をもむさぼり、どうにか生きのびました。
このおっさん、大風が吹いて自身の住むボロ小屋の屋根が吹っ飛ばされたことがありました。
近所の悪ガキどもは杜甫を老人だとなめて、勝手に押し入って盗みを働きます。
おっさんは
「こらああああああ!」
でも、
「さてさてどうやってこの夜を過ごそうか」
なんて、漢詩でおいしい自虐ネタにして笑いを誘っております。
しかも、別の漢詩では、
おっさんはこんなあいかわらずの厨二病をふりまきながら、同窓会ではきっちり端っこで肩身狭そうにしております。
江漢思帰客
晩年になればなるほど、現実世界と理想のギャップがはなはだしくなるほど、その冴え(さえ)の増してきた杜甫。
おっさんのおっさんらしい漢詩で最後はしめくくり。
乾坤一腐儒
片雲天共遠
永夜月同弧
落日心猶壯
秋風病欲蘇
古来存老馬
不必取長途
(意味)
長江、漢水、へと、故郷への思いをつのらせる旅人。
この大きな天地に腐れ儒学者が一人。
はぐれ雲が空に、私とともに遠くへとたゆたってゆきます。
長い夜に、月もやっぱり独り身。
でも、なぜだか太陽が落ちるのを見ると、やる気がこみ上げてきます。
秋風に吹かれると病からもよみがえります。
昔から老馬を大切にします。
ただ、それはただ遠い道を歩んできたからだけではありません。
(参考文献『杜甫』著・川合康三/岩波新書)
きょうのまとめ
① 杜甫の漢詩は時に社会ニュース記事
② 杜甫はさりげなく自虐ネタも漢詩で見せる
③ 杜甫の漢詩はやるせない現実感とあきらめない厨二病魂の絶妙の混ざり具合がいい!
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