朱元璋とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

300年の国を造りました。

なのに、とっても不人気な人がおります。

いったい何者?

その名は朱元璋しゅげんしょう、皇帝になってからは洪武帝。

明の建国者です。

なぜそんなことになったのか、その壮絶な一生をふりかえってみましょう。

 

朱元璋はどんな人

プロフィール

出典:Wikipedia

  • 出身地:中国安徽省鳳陽県
  • 生年月日:1328年10月21日
  • 死亡年月日:1398年6月24日(69才)
  • 明の建国者。かなり貧しい身の上から全中国の皇帝にまで成り上がる。

 

朱元璋の年表

年表

1328年(0才)朱元璋生まれる

1351年(23才)紅巾の乱が起こる。朱元璋も参加する。

1356年(28才)朱元璋南京占領

1363年(35才)潘陽湖の戦い

1368年(40才)明建国
~粛清事件相次ぐ

1381年(53才)衛所制、里甲制施行
~粛清事件相次ぐ

1398年(69才)朱元璋亡くなる

 

朱元璋の生い立ち

朱元璋はとても貧しい農家の末っ子として生まれました。

この時に付けてもらった名前は八男ということもあって重八です。

しかし、時代はあまりに荒れておりました。

モンゴル人王朝元による統治。

中国人民衆の身分はとても低いです。

しかも、大地主が貧しい農民からしぼりとります。

異常気象で田畑の作物がちゃんと実りません。

恐ろしい疫病まで流行り、人の命をたくさん奪ってゆきます。

朱元璋の一族のほとんどは彼の幼いうちに死に絶えてしまいました。

 

朱元璋、乱世に頭角を表す

朱元璋は寺に入ります。

しかし、そこでもすぐに口減らしとして追い出され、托鉢たくはつの旅に出ます。

人々にほどこしをもらいどうにか日々を生き延びます。

そんなころ、世の中では時代のうねりがついに噴き出しつつありました。

紅巾の乱です。

日々の暮らしに食いつめた人々が立ち上がり、周りの人々を襲います。

元朝、紅巾党、それ以外の反乱勢力、……世の中はもうムチャクチャです。

朱元璋は紅巾党の郭子興かくしこうのもとに身を投じ、見る見る頭角を表してゆきます。

 

朱元璋の統一事業

朱元璋はものすごくガタイに恵まれ、冷静で公平、かしこくて肝っ玉がすわっています。

みんなが生きるか死ぬかの時にです。

やがて郭子興が死に、朱元璋はその軍閥を引き継ぎます。

下級役人上がりの陳友諒、塩の密売人張士誠、方国珍などと次々に群雄を撃破。

紅巾党の形式的な指導者である韓林児を呼び寄せて謀殺しました。

こうして40才に明を建国

やがては北方にまだ残っていた元の勢力をやっつけ、草原の彼方へと追いはらいます。

 

君主豹変(ひょうへん)

朱元璋が激変したのは明の皇帝に就いてからです。

知識階級、さらには自分のここまでを支えてくれた有力な家来たちとその親族まで、手当たり次第無理やりにでも罪をなすりつけ、まとめて殺してしまいます(※)。

(※)織田信長でいえば、柴田勝家、豊臣秀吉、明智光秀、丹羽長秀、滝川一益、……とその親族を皆殺しみたいなものです。お寧や細川ガラシャ、前田慶次もこの世にはいないでしょう。

これで亡くなった人々は4万人(十数万人とも)と言われます。

そして、朱元璋の恐ろしいところはその秘密警察です。

検校けんぎょう錦衣衛きんいえい

うっかりと政権の文句なんて言えないですよ。

どこで聞かれて、何されるかわかりません。

ドツボの時期、私たちはその選択によほど気を付けなくてはなりません。

 

朱元璋を支えた妻

朱元璋の皇后は中国史上を代表する「いい奥さん」として知られております。

馬皇后

●貧しい時でも自分の食べれる分をけずって夫に食べさせる

●敵の圧倒的攻勢に味方が逃げ出す中、残る人々に宮殿の宝を恩賞として見せ、奮起させる

など、とても心優しく、かしこい人がら。

身を投げ出して夫を助けます。

自分が重病におちいった時は、

馬「今、天下の民はどうしています?」

朱「そんなもの今は関係ない……」

馬「あなたの子どもたちですよ。どうして気にかけずにいられるでしょう。」

またこの時、馬皇后は医者も薬も一切受け付けませんでした。

なぜでしょう。

馬皇后は夫の性格を知りぬいていました。

馬皇后がもし死んだらその医者や薬剤師はどうなりますか。

朱元璋も馬皇后のいさめはしっかり聞きました。

彼女の生きている間は朱元璋の粛清もあまりひどくありませんでした。

 

きょうのまとめ

こういう壮絶な生い立ちをたどってきた人の心は同じような生い立ちをたどらないとわかりづらいものがあります。

ただ、これはきついです……。

① 朱元璋はものすごく貧しい身の上から一代で全中国の皇帝にまで成り上がった

② 朱元璋は皇帝になったとたん、“大粛清”が始まった

③ 朱元璋の妻である馬皇后はとても心優しい人で夫をよく支えた

朱元璋は農業をとても大事にし、国を安定させようとしました。

自分が貧しい農家だったころ苦労したからこそのあわれみでしょうか。

まあでも、みんなが食料を食べられなくなると、王朝がどうなるかをその体で知ってますからね。

 
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