おふくろの味「肉じゃが」。
一時期は、女子が男子に作るとモテる料理といわれていた気がします。
そんなモテ料理「肉じゃが」は意外なことに、実はあの
東郷平八郎がきっかけで誕生したといわれているのです。
そこで今回は、東郷平八郎と肉じゃが誕生にまつわるエピソードをご紹介していきます。
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留学先で食べたビーフシチューが食べたくて
薩摩藩士の子として誕生した東郷平八郎。
明治新政府に出仕した彼は、イギリスへ7年間、官費留学していました。
東郷は、留学中に口にした「ビーフシチュー」の味が忘れられなかったといいます。
海軍舞鶴鎮守府初代司令長官に就任
帰国した東郷は、やがて海軍舞鶴鎮守府初代司令長官として京都府舞鶴市に赴任することになります。
このとき料理長に、
と命じたといいます。
しかし、料理長はビーフシチューを食べたことがない上、さらに必要となる調味料もありませんでした。
完全に司令長官のわがまま……そんな指令、出します?
ですがこの料理長、東郷から伝えられた具材を砂糖や醤油、ゴマ油などで味付け。
完全にビーフシチューではありませんが、とてもおいしい和風の何かを作ってしまったのです。
このとき作られた料理は「甘煮」と名付けられ、これが肉じゃがの原型となったといわれているのです。
「肉じゃが」で兵士の栄養状態が改善
当時の日本の軍隊では、兵士たちがビタミン不足によって引き起こされる脚気や壊血病などに悩まされていました。
しかし、栄養価の高い肉じゃがをメニューに採り入れた海軍は、兵士の栄養状態が改善。
このような海軍メニューとしては、カレーも有名ですよね。
さらに、何といっても肉じゃがはおいしい!
そりゃあ、モテ料理にだってなりますよ。
兵役を終えた兵士たちによって肉じゃがは日本の各家庭に広まり、おふくろの味として定着したのだとか。
都市伝説だったの?
料理長は天才か!? と言いたくなるこのエピソード、実は都市伝説だというのです。
なぜなら当時、すでにビーフシチューは日本国内でも知られていたそうです。
だとすると、料理長たる者がそれを食べたことがないというのもおかしな話。
とすると、どういうことでしょうか。
舞鶴の街おこし
なんでもこのエピソード、肉じゃが発祥の地とされる「舞鶴市の街おこし」のために創作されたものだというのです。
完全に騙されたそこのあなた……私もですよ。
ですがこのエピソードは嘘というよりも、素敵なフィクションと言えるのではないでしょうか。
ただし、肉じゃがが海軍料理であったことは間違いないようです。
舞鶴のライバル・呉
ちなみに肉じゃが発祥の地と主張している都市は舞鶴市の他に、広島県の呉市があります。
呉も旧海軍の港があったことで有名で、東郷本人も二度赴任していました。
どちらが本当の肉じゃが発祥の地なのか、舞鶴 vs 呉、現在も肉じゃが論争が続いているようです!
きょうのまとめ
今回は日本のおふくろの味・肉じゃが誕生にまつわるエピソードについてご紹介しましたが、いかがでしょうか。
① 東郷平八郎がイギリス留学中に食べたビーフシチューを、海軍の料理長に作らせたのが肉じゃが誕生のきっかけといわれている。
② 肉じゃがをメニューに採り入れたことにより、海軍兵士の栄養状態が改善された
③ ①のエピソードは京都府舞鶴市の街おこしのために創作されたものだった
④ 肉じゃが発祥の地は舞鶴と呉、どちらなのか現在も論争が続いている
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