大征服王チンギス・ハンとティムールの共通点・ちがう点

 

世界史上1代で征服した面積の1番広いのがチンギス・ハン

2位がティムールです。

そんな2人、“やはり”なのか、共通点がとても多いです。

さあここで、彼らの共通点を一斉おさらいしてしまいましょう!

そして、それでもちがうところっていったいどこ?

 

チンギス・ハンとティムールの共通点

1380年頃に描かれたと考えられているティムールの肖像画
出典:Wikipedia

王族・貴族という血筋

チンギス・ハンはモンゴルの王族イェスゲイの息子です。

ティムールは西チャガタイ・ハン国の貴族アミール・タラガイの息子です。

モンゴル系人種

チンギス・ハンはもちろんのことながら、ティムールも実はモンゴル系民族です。

ティムールはトルコ系とモンゴル系の混血です。

残酷

二人とも自分に従わないものに対してはとても残酷です。

共通の戦術として焦土作戦。

大量虐殺・拉致・略奪・町の徹底的破壊など。

オトラル

オトラルとは今の中央アジア、カザフスタンにある都市遺跡です。

実はこの都市、チンギス・ハン、ティムール両者と大変に因縁深い土地がらです。

チンギス・ハンはお隣にあるホラズム王国(※)と最初仲良くしておりました。

(※)11~13世紀、中央アジアに栄えたイスラム王国

しかし、ここオトラルでホラズム長官によってチンギス・ハンからの使節がほぼ皆殺しにされます。

なぜ、このようなことになったのかはいまだにはっきりとしたことがわかっていません。

ただ、チンギス・ハンがどうするかはもうおわかりでしょう。

ホラズム王国は大変な地獄を味わうことになります。

時のスルタン(王)は逃れ逃れてカスピ海の小島で失意のうちに亡くなりました。

一方、ティムールはかねてから明を征伐しようと考えておりました。

モンゴルの血を引く彼は、大モンゴルの名残であった中国をもう一度モンゴルの手に取り戻したかったのだ、と伝えられております。

そして、68才の時ついに20万の軍隊を引き連れ、念願だった大遠征に旅立ちます。

このままでは当時ユーラシア大陸最強であったろう2超大国が大激突……。

しかし、その年の冬はあまりに寒いです。

ティムールは酒をたらふく飲んで何とか紛らわしますが、ついに病気でたおれ、帰らぬ人となりました。

その地がオトラルです(※)。

(※)この辺りは相当底冷えするのでさぞや大変だったでしょう。

大いなる野心家チンギス・ハンを夢見て、その大いなる野心とともにその最後をむかえる。

歴史の因縁とは不思議なものです。

 

<オトラル>

 

チンギス・ハンとティムールの異なる点

破壊と建設

チンギス・ハンは破壊をし、ティムールは建設した」

これは歴史の格言です。

両者ともに反抗する勢力に徹底的に容赦がなかったのは事実です。

が、ティムールの場合は町の建設にもとても力をつくしました。

ティムールとその子孫たちによる“町の建設ぶり”を今もありありと感じられる都市が今のウズベキスタンにあるサマルカンドです。

ここはもとあのホラズム王国の首都。

1220年、例の事件からチンギス・ハンに徹底的に破壊・殺戮されたのですが。

それから200年近く経ち、同じモンゴルの血を引く新たな征服王の手によって大いなる発展がもたらされます。

そう、ここはティムール帝国の首都にもなるのです。

青タイル装飾と丸みを帯びたドーム、ふんだんにあしらわれた幾何学文様が美しい“青の都”。

ここはティムールゆかりの深い世界遺産のオンパレードです。

 

●レギスタン広場

チンギス・ハンによる破壊の後、サマルカンドはこの地を中心に復興がなされました。

ティムールはここに大きな屋根付きバザール(市場)を築きました。

サマルカンドは何と言ってもシルクロード交易の町です。

●ウルグ・ベク・マドラサ

レギスタン広場内にあるマドラサ(神学校)。

ティムール帝国でも特に学術に力を入れた第4代皇帝ウルグ・ベクによる作です。

●グーリ・アミール廟

ティムールをはじめとする王族たちの墓場です。

中は本当に、万華鏡の中にさ迷い込んだような息を飲む美しい空間が広がっております。

●アクサライ廟

これもティムール帝国時代作です。

●ウルグ・ベク天文台

学術皇帝ウルグ・ベクの代表作です。

今でいうとハッブル天文台みたいな時代最先端の天文台でした。

●ビービー・ハーヌム・モスク


ティムール作。

インド遠征で持ち帰った宝石をふんだんに用いております。

ちなみにこのモスクの名前は、ある人気冒険アニメに出てくる女性キャラクターの名前に転用されております。

ヒント「ビー・ビー」です。

 

きょうのまとめ

アレクサンダー大王「ソグディアナ(ウズベキスタン)ならもう一人、訪れたことのある“世界帝王”の名前を忘れてほしくはないな」

① チンギス・ハンとティムールはともにモンゴル系で王族・貴族の出であり、反抗する者に対して徹底的に容赦がなかった

② オトラルはチンギス・ハンによるホラズム虐殺のきっかけとなったり、また、ティムール最期の地であった

③ 歴史の格言によると「チンギス・ハンは破壊をし、ティムールは建設した」

 
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