高橋是清はお札になっていた!お金にまつわるエピソード3選

 

高橋是清といえば「財政」のイメージが強いのではないでしょうか。

日本銀行の総裁や大蔵大臣を務めた高橋には、お金にまつわるエピソードがたくさんあります。

いえ、それ以前にお金に苦労したという話も……。

そこで今回は、高橋是清とお金にまつわるエピソードを簡単にご紹介します。

 

高橋是清とお金にまつわるエピソード

高橋是清

出典:Wikipedia

それでは、高橋是清とお金の話を3つほど紹介していきますね。

お札になっていた

戦後の昭和26年(1951)、50円札が発行されました。

50円といえば、現在は硬貨ですよね。

このときの50円札は、唯一発行された「50円札」だったのです。

そして、このお札に肖像が使われたのがメガネ姿の高橋是清でした。

意外ですが、お札でメガネをかけているのは、高橋是清新渡戸稲造だけだそうですよ(2018年現在)。

高橋の50円札発行から4年後、50円硬貨が登場。

そして昭和33年(1958)には発行停止となります。

発行期間はわずか5年。

幻のお札か!?と思われるかもしれませんが、

戦後に発行された紙幣のため、結構今でも遺品整理などをしていると出てくるのだそうです。

もしかしたら、いつか出会えるかもしれませんよ。

だまされた!ペルーの銀山事業

さて次は、高橋是清が農商務省にいた時、つまり若い頃の話です。

とある先輩から、ペルーの銀山事業をやってみないかと誘われました。

なんだか、嫌な予感がしますね。

高橋は仕事を一時中断し、ペルーへと赴きます。

そして、2か月ほどしてわかったのです。

その銀山はすでに掘り尽くされていたということが……。

この結果、高橋は多額の借金を抱えることになり、さらに「山師」とまで言われる始末。

ですが、銀山事業に誘ってきた先輩・前田正名が、当時の日銀総裁に口利きをしてくれ日本銀行に入るのですから、人生に無駄はないのかもしれません。

お札を刷りまくって取り付け騒ぎを鎮める

若い頃はいろいろあった高橋是清でしたが、次は70歳を過ぎたときのお話です。

時は昭和金融恐慌、各地の銀行では取り付け騒ぎが起こっていました。

そんなとき、田中義一内閣の大蔵大臣となったのが高橋是清でした。

しかも健康状態があまりよくないから、と3~40日くらいと期限付きで引き受けます。

田中義一内閣はモラトリアム(支払猶予令。銀行が一時的に支払いをしなくて良いとすること)を出し、その間に500万枚もの200円札を用意。

銀行に来た預金者に山のように積まれたお札を見せたことで、取り付け騒ぎは落ち着きました。

また高橋はいくつかの法案を提出。

すると金融恐慌は2か月で終息し、高橋是清は大臣就任から44日で職を辞しています。

実はその刷りまくったお札、時間がなかったので裏は白いまま(裏白紙幣)だったんですけどね。

 

きょうのまとめ

今回は高橋是清とお金にまつわるエピソードについて、簡単にご紹介しました。

① 高橋是清が肖像になった50円札は、今でも見つかることがある。

② ペルーの銀山事業でだまされるも、それがきっかけで日銀に入った。

③ 表だけのお札を大量に印刷、預金者に見せることで取り付け騒ぎを鎮めた。

こちらのサイトでは他にも、高橋是清にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

高橋是清の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「高橋是清とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

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