孫武とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

孫武

 

古代中国に生きた将軍、孫武そんぶ

軍事思想家でもあった彼は、「武経七書ぶけいしちしょ」と呼ばれる中国を代表する兵法書の一つ、『孫子』を書いた人物だと言われています。

しかし彼の存在を確実に証明する資料は残っておらず、現在でも彼の実在や逸話に関する論争は続いています。

そんな謎多き人物、孫武とは、一体どんな人物だったのでしょうか。

今となってはその真偽は歴史に埋もれてしまいましたが、今回は伝えられている彼の生涯やエピソードについてご紹介していきます。

 

孫武はどんな人?

プロフィール
孫武

鳥取県湯梨浜町燕趙園の孫武(孫子)像
出典:Wikipedia

  • 出身地:中国 春秋時代の斉国
  • 生年月日:紀元前535年?
  • 死亡年月日:不明
  • 古代中国の将軍、軍事思想家。兵法書『孫子』の著者。

 

孫武 年表

年表

紀元前(年齢)

535年?(0歳)中国春秋時代後期の斉国で誕生。

517年(18歳)一族の内部闘争を逃れるため、家族を連れ江南の呉国へ移る。後に『孫子』を執筆。

515年(20歳)呉国の王、闔閭こうりょに呼び出され、『孫子』について説き実践する。

512年(23歳)将軍に任命され、楚国の2つの衛星国を攻略。

506年(29歳)強国だった楚国を破る。その後、斉国、普国を牽制し呉国の力を知らしめることに貢献する。

496年(39歳)敵の矢に倒れた呉王闔閭の雪辱を果たすため、その息子で次の王である夫差を補佐し、越国を破る。

?年(?歳)辞職を願い出た後、それ以降の記録は途絶える。没年も墓も不明。

 

孫武の功績

ここからは早速、孫武の最大の功績と言える『孫子』についてご紹介していきます。

『孫子』概要

孫武が書いたとされている兵法書『孫子』は、中国を代表する兵法書のなかでも特に優れたものとして現代まで読み継がれてきました。

本作の最大の特徴を一言で表すとすれば、とても実用的であるということ。

「兵法書」と言われるくらいなので、書かれている内容は戦そのものやその必勝法についてです。

しかし、孫武の深い思考に裏打ちされた考えは実用的かつ普遍的で、ビジネスや人生全般に関しても応用できるものとして注目されています。

日本では武田信玄、ヨーロッパではナポレオン、現代ではビル・ゲイツ等。

2400年近く前に書かれた本作は、古より世界中のリーダーや経営者たちに愛読され、影響を与え続けているのです。

日本でも「孫子の兵法」として多くの解説書が出版され、戦略的な思考に役立つ指南書として人気があります。

構成は全部で13篇

以下でそれぞれの篇とその内容について見てみましょう。

全13篇からなる『孫子』

ここでは、13篇をリスト化し、それを基に孫武の思想を簡潔にご紹介します。

戦場に限らず、人生にも応用できることを頭の片隅に入れながら読んでみて下さい。

・始計篇  無駄な争いは避けるべし。本当にする必要があるのか、そのリスクや被害の大きさなどを考える。

・作戦篇  短期決戦で挑むべし。長期化すると無駄に消耗して利益にならない。   

・謀攻篇  不戦勝で勝利すべし。戦って勝つことが必ずしも最善とは限らない。

・軍形篇  防御を固めるべし。防御の体制を強化することで余裕が生まれる。攻撃はチャンスを逃さず素早く行う。

・兵勢篇  開戦直後の勢いを操るべし。兵を選ぶのではなく、士気を上げその状況を巧みに利用する。

・虚実篇  主導権を握るべし。先手を打ち、敵を思いのままに操る。  

・軍争篇  敵よりも早く辿り着くべし。無駄を省いて自軍の集中を保ち、先手を打って敵の士気を削ぐ。

・九変篇  臨機応変に対応すべし。戦局は常に変化する。先を見据え、あらゆる対処を考える。

・行軍篇  実情を把握すべし。兵の数に惑わされることなく、その根幹である実情を集中して見る。

・地形篇  地形を考慮すべし。フィールド、敵のタイプを考慮し、それに適した戦い方をする。

・九地篇  状況を見極めるべし。始めは様子を見つつ控えめに、チャンスが来たら一気に深く攻める。  

・火攻篇  不利益な戦争は避けるべし。水と違い火はすべてを焼き尽くす。よく考えること。

・用間篇  偵察すべし。敵のスパイを味方につけてでも情報収集する。

上記した内容はそれぞれの篇の簡単な紹介ですが、これだけでも孫武が決して好戦的な人物ではなかったことがうかがえます。

孫武の名言をご紹介した記事で、『孫子』の内容について触れているので、興味を持たれた方はぜひそちらも併せてご覧ください。

 

孫武にまつわる伝説

ここでは、孫武にまつわる伝説と関連するエピソードを2つご紹介していきます。

王の寵姫を斬首

確かな資料がないために、その人物像は曖昧な孫武。

しかし彼を語るうえで必ず挙げられるのが、この闔閭こうりょの姫兵」エピソードです。

出身地である斉国から呉国に移住したとされる孫武は、この国の臣である伍子胥ごししょに推挙され、呉王闔閭に謁見します。

闔閭はその場で『孫子』の内容を具体的に実践してみせよ、という無理難題を出し、孫武の力量を試すことにしました。

孫武に課されたのは、宮廷の女性たちを兵に見立て、彼女たちを兵士として訓練するといったものでした。

彼はまず、宮中の180人の女性たちを2隊に分け、それぞれの将に闔閭の寵愛していた2人の女性を任命します。

そして隊列を組ませ、移動に関する指示の説明をしたうえで、訓練を開始しました。

しかし女性たちは号令の太鼓の合図にも笑うばかり。

誰も従う者はいませんでした。

そこで孫武は、

孫武
事前に明確な指示があったにも関わらず兵がそれに従わないのは、将の罪である。

と言って、それぞれの隊の将だった闔閭の寵姫を処刑してしまうのです。

これに対し闔閭は気分を害したものの、孫武の能力を認め彼を将軍に任命した

と言われています。

しかしこの伝説に関しても不自然な個所や信憑性は乏しく、現在でも議論の対象になっています。

『キングダム』との共通点

突然ですが、『キングダム』という漫画をご存知ですか。

舞台はまさに孫武が生きていたとされる中国春秋時代で、動乱の時代を描いた戦国大河ロマンです。

アニメ化や映画化もされ、映画の続編も発表されているほど人気のこの作品。

実はこの作品に出てくる将軍たちの活躍の様子は、『孫子』の内容とリンクする場面が多いと言われています。

有能な将の戦略や行動は、孫武の語る兵法とよく似通っているのです。

その様な背景から『キングダム』だけでなく、『孫子』に興味を持つ若者も増えている現在。

最近では子供たちでも理解できるような分かり易い解説書も出版されています。

 

きょうのまとめ

今回は、古代中国の将軍にして軍事思想家の孫武について、その生涯やエピソードをご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、孫武とはどんな人物だったのか簡単にまとめると

① 古代中国、春秋時代に活躍したとされる将軍、軍事思想家。

② 著作『孫子』は、中国を代表する武経七書の一つで、最も優れた兵法書と言われている。

③ 孫武の実在やそのエピソードの真偽については未だに議論が続いている。

実はその存在の信憑性しんぴょうせいすら不明瞭な孫武。

しかし彼の作とされている『孫子』や遺された逸話は、時代を経てもなお世界中で多くの人々を魅了しているのです。

最古にして最強の兵法書『孫子』。

人生のあらゆる場面で活用できる本書は、いつの時代においてもその時代を生き抜くためのヒントを我々に与えてくれます。

興味を持たれた方はぜひ一冊お手に取ってみて下さい。

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