中国の歴史には“三大悪女”と呼ばれる人々がおります。
●清の西太后
●前漢の呂后
そして、ここで紹介する
●武周の則天武后
です。
則天武后はなぜ“悪女”と呼ばれなければならなかったのでしょうか。
そんな彼女のとんでもない厳しさと、そこからもれる人生の切なさを追ってみましょう。
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則天武后はどんな人
- 出身地:中国四川省
- 生年月日:624年2月17
- 死亡年月日:705年12月16日(81才)
- 中国史上ただ一人の女帝。武周を建国。
則天武后の年表
624年(0才)則天武后生まれる
636年(12才)父武士彠亡くなる
637年(13才)後宮に入る
655年(31才)高宗の皇后となる
663年(39才)白村江の戦い
668年(44才)高句麗滅亡
683年(59才)高宗亡くなる。中宗即位。
684年(60才)睿宗即位
690年(66才)則天武后が皇帝に即位
705年(81才)則天武后皇帝の位を中宗にゆずる。則天武后亡くなる。
則天武后の生い立ち
則天武后は代々お金持ちの家の出身です。
そのため、しっかり豊かな教養をほどこしてもらって育ちました。
しかし、則天武后12才の時に運命が一変します。
父親の武士彠が亡くなると、母ちがいの兄や従兄によっていじめられるようになります。
そして、その翌年には唐の後宮(皇帝の奥さんや愛人たちの住まい)に入ることとなりました。
則天武后、皇后になる
則天武后は持ち前の美しさだけでなく、お父さんの人付き合い上手をやはり受け継いでいるのでしょう。
大名君李世民の子である高宗を虜にしてゆきます。
やがて、高宗は則天武后を「自分の新しい皇后にする」と宣言。
これには先代李世民を支え続けてきた名だたる功臣たちが次々と反対します。
すると、なぜかこのタイミングで高宗のほかの妻である王皇后と蕭淑妃が罪人として訴えられ、牢屋に入れられます。
こうして、ライバルの消えた則天武后は晴れて新たな皇后に就き、反対した名臣たちや王皇后らのほぼ全員が悲惨な末路を告げられました。
則天武后の先生は絶対この人だと思う!
則天武后のやり方はあくまで自分に対抗しようとする者を徹底的に排除します。
手段は選びません。
このやり口、私は明らかにある人物の影を思います。
前漢の呂后です。
長い中国史上で則天武后より前にたった一人だけ女性で政治の実質トップにまで上りつめた人です。
教養のある則天武后がそれを知らないはずがありません。
やり方があまりによく似ています。
ただ、則天武后はまさか彼らまで敵になるとは思わなかったかもしれません。
それは……。
則天武后最大のライバル?
則天武后の息子たちです。
高宗とほかの夫人らの間の子どもたちを彼女はなりふり構わず追い落としてきたのに。
しかし、則天武后の息子たちはもうそんなやり方に嫌気がさし、恐れておりました。
次から次へと言うことを聞かなくなり、なんと則天武后はそんな彼らをすら一人、また一人、と使い捨てにしてゆきます。
いや、則天武后にはもう一人大きな心の先生であり、ライバルがいたと思うのです。
先帝李世民です。
“貞観の治”をなしとげた大英雄。
しかし、そのやり方は時にあまりに非情にも映ります。
彼も実の兄弟をその手で殺さねばなりませんでした。
則天武后は若いころ、そんな彼の背中を見ていました。
彼女は負けず嫌いの塊です。
「突き進む以外に勝利はない」と信じております。
身内でも容赦はありません。
そして、彼女は立ちます。
中国史上初の女性皇帝。
国の名前は「周(後に武周と言われます)」と改めました。
則天武后の政治
こんなですから則天武后の時代の政治はさぞやムチャクチャだったと思うかもしれません。
まあ、路頭に迷う人や土地を置いて逃げ出す人たちはやっぱり増えたようです。
ただ意外にも、狄仁傑のようなとても優秀な家来を低い身分から大抜擢(だいばってき)し、そういう人材の言うことにはとてもマジメに聞きました。
そのためもあるでしょう。
農民反乱は一度も起きていません。
彼女は政治にやる気がないのではありません。
ただ、彼女のやり方は邪魔者を徹敵的に排除し、今まであぶれていた人材を見つけ出してなんとかやっていこうというものです。
そして、長年の宿敵高句麗を滅ぼし、白村江の戦いでは日本・百済連合軍を打ち破るという実績も上げております。
また、彼女の権力自体はとっても強固に仕上がってゆきました。
ただ、運のつきです。
いや、まさに因果応報。
彼女は最後、一番自分に似ているとしてかわいがっていた娘の太平公主に裏切られ、帝位を引きずりおろされます。
彼女の人生は間もなく終わりをむかえます。
きょうのまとめ
① 則天武后のやり方は少しでも邪魔になる者は徹底的に排除する。たとえ身内でも。
② 則天武后のやり方には呂后と李世民の影が見える
③ 則天武后時代の社会は思いのほかそこそこ
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